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日記Ynas0209

2002年7月から9月の日記です。

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    ※ 読者のみなさんの参考のために
      母さん(田口靖子)は 2002.7.1 現在57歳9ヶ月。
      アルツハイマー 発病後3年11ヶ月
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    2002.7.1(月) 

        ◎朝の「こわいこわい」はこのごろでは、傍目には「うーん、うーん」と

         うなっているようにしか聞こえないだろう。言い方が弱くなってきている。

        ◎今日は私が朝から緊張していた。本日デイケアに初めていくことになるからだ。

         保険証、連絡帳 などなどと持ち物の上靴などを前日から用意して袋に

         入れておいた。

         デイ・ケア・サロン Mへ行った。本来は送迎バスがあるのだが本日は8時45分に

         私がおくっていった。1時間ほど見ていて、なにかあったら電話するよう頼んで

         おいて帰ってきた。帰って20分で電話がかかってきた。そのうち一日居ても

         平気なくらい慣れてくれればよいのだが…。

         初回なのでここの病院の医者の診察があり、ケアの会場へ行った。

         9時から3時半まで、お絵かき、カラオケ、ボール遊び、クイズ、ゲームなど

         をやった。母さんは笑っていて、上々の反応だった。

         詳細は、後日。

        ◎私「今日は何処へ行ったかなー」

          「どこへも行かへん」

          ◎4時15分「もうだめだ」と3回くらい言った。

    2002.7.2(火) 薄曇り 晴れ

        ◎市役所へ介護保険の更新手続きに行き書類を提出してきた。

         主治医の先生に「更新につきお願いします」と頼んだ。

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        ◎昨日(7月1日)の件続き。

         定員はたぶん20人で昨日の出席者は女性12名、男性6名の計18名人だった。

         内車イス使用者 5・6名。 昼寝した人1人。

         職員は職名は定かでないが、全体責任者1人(男性)、主として事務担当者1人(女性)

         介護する人男性1人、女性3人、他に昼食時、別の顔が2人いたような気がする。

         計6人+2人で8名だった。

         ちなみに職員のかたの昼食は同室で、2人ずつ、順次食べておられた。

         私がはじめの1時間ほど付き添っている時に、やったことは、7月のカレンダーの

         塗り絵に自分の出席日をを書き、全体を色つけすることだった。幼稚園の”お勉強”

         のようで楽しそうだった。

         1時間付き添っていて、10時に自宅に帰ってから、10時40分に「ようすが不安げ

         ですから見にきてほしい」と電話がかかってきた。

             その時は私が予定外の仕事で 相手先に着いた直後だったので

         その仕事を済ませから、11時20分に着いた。母さんは私の顔を見ると、

         すぐに気分が治って、別の塗り絵をやり始めた。

         私は 観念して 1日付いていることにした。昼食も、皆といっしょのものを食べた。

         年寄り向けのメニューだが、栄養分布などを考えた内容だった。12時から1時までは

         NHKのテレビがかけられていた。昼食後 昼寝の必要な人は、端にあるベットで

         昼寝をされた。

         カラオケ30分、ボール遊び30分、クイズとゲーム30分、軽体操15分、

         おやつ時間15分、飲み物はホットコーヒー、冷コーヒー、紅茶、普通のお茶、麦茶

         の中から一つを選択。

         3時で終了。その後10分で帰りの準備。

         おやつの時間当たりまで、母さんは元気に 流れに沿っていろいろやっていた。

         私は急用を思いだし おやつが配られたあたりを見計らって 連絡のために

         建物を離れた。その間におやつの時間が終わってしまっていた。

         もう帰る時間だが、私が見当たらないので母さんは心配になって 外へ探しに

         出ようとしたらしい。また電話があった。2分ほどの違いだった。

         戻ると、すぐに気分は落ち着いた。どうもどこかへ出かけて保護者を見失った

         幼児のようなあんばいだ。ここ2年くらいはずーっと一緒だったから無理もないと思う

         今日は1回目の1時間20分と2回目の15分くらいと、怒りながら待っていた時間も

         含め 1時間半以上一人でいた。初めからそううまくはいかない物だ。

         母さんが 私の不在に気が付いて心配になっている時間を除いて、楽しそうにして

         いたからそれがこの日の成果であった。

           帰りの準備が整うと一台目と2台目ののバスに乗って帰る。

         車イスの方も居るので多人数乗れない。3号車は1台目のバスが帰ってきてから

         それに当てられる。3時25分発だった。

         母さんは、私が乗せて帰っても良かったが、”場慣れ”をはかるためにバスに乗せて

         もらい、私は一足先に家に戻っていた。

         連絡帳は市が作った物とデイ・ケア・サロン Mのと2冊有り、市のは手書きで

         Mの物はプリントで記入してあった。

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        ◎火曜日で当初は市の訓練センターへ予定していたが、昨日と今日といきなり連続では

         疲れると思って、これは明日行くことにした。

        ◎夕方ケアマネージャーから「状況はどうでしたか」と電話があった。

         そして「私はあそこが一番いいと思うんです。全体が盛り上げようとする雰囲気で」

         と言われた。私は 母さんの気分は「良かった」事を報告した。いいか悪いかは

         一定期間行ってみないとわからないと思った。

          ◎夕方 私が歯科へ行き、母さん付き添い。帰りにスーパーで買い物>

         一緒に夕食を作る。母さん小粒メロンの皮をリンゴでもむくような具合に

         むき始めた。たしかに表皮はむけるが、堅い部分が残っていそうであった。

         そのうちやはり堅すぎて手で持ったまま向けなくなったので まな板の上に置いて

         包丁を右に向けて皮を削り、左に向け削りしていた。右の時はいいが、左に

         向けた時に 滑ると左手をざくっと切ってしまうので、ハラハラしながら見ていた。

         手を切らないで一応表皮はむけた。せっかくむいてくれたので 私は「メロンの皮は

         むかなくていいんだよ」と言えなかった。


    2002.7.3(水) 晴れ

        ◎午前「今日は風呂に入ろう」と言った。

         すると 急に「本巣へ帰る」と言いだしたので、連れていってやった。ばっちゃは

         出かけて留守だった。2軒目の角の人が 町内の連絡をもってこられたが、留守

         だったので 居る時にもう一度持ってきてもらうよう頼んできた。

         そのまますぐ戻ってきた。

        ◎母さんがずーっと風呂に入っていない。「えいわ えいわ ではすまされぬ」

         と言うわけで本人の意思ではいるよう工作した。風呂に何故入りたがらないのか

         解らないが、入ろうとしない。こどものころ 風呂にはいる回数が少なかった

         のかも知れない。

         「臭いからはいらなあかん」とか「汗もが出来る」とか 「ひふが かゆくなる」とか

         「”風呂にに入れさせない”と言われては、私の恥じてあるばかりでなく非難される

          ことになる。現に”人権問題”になる事もある と言う人さえいる」とか

          いろいろ言ったが入ろうとしなかった。

         あまり言うので 母さん 暑い中 としこさんとこへひなんした。迎えに行くと

         「シャワーどうや」と言われてその気になっていたので、「それはいい」と

         私が母さんの下着を取りに戻ると、そこへ「帰って行ってしまった」と 

         としこさんから電話。結局 としこさんの所では入らなかった。

         その間の母さんの反論「どうして私ばかりそう言われんならんの」

         「私の自由やないか」 「本巣で入ってきた。」

         その間に 何回も 家を出たり入ったり、11時半から 3時半まで粘ったが

         らちがあかなかった。

        ◎ その後夜は、8時50分から、9時半まで、言い続けたが風呂に入らなかった。

         母さん「どうして風呂へ入らないくらいでそんなにいわれんならんの?」

         私「もう3ヶ月以上入っていないからや」

         私「聞いても解らないかも知れないが、どうして風呂がいやなの?」

         私「風呂が恐いとか、風呂はそれなりにきれいにしてあるけれど、母さんの

         目から見たら きたないとか思うのかな 湯加減は 熱くないよう加減してあるし」

         母さん「風呂が恐いなんてことあるか、別に汚いことはない」

         母さん「私がばかやからそう言うんやわ」

         私「母さんは ばかなんかではない。風呂は ばかとか 利口とかに関係なく

         はいるものや。季節によって違うが、週2回くらいは 少なくとも入るもんや」

         しばらくじーっとしていて、二階へ行ったり、降りてきたり 出口の方へ行ったり

         していたが、そのうちそばに来て蚊の泣くような声で「ごめんなさい、ごめんなさい」

         と言った。私「怒っているわけではないから、謝らなくても良いの。

         でも 謝る気持ちがあるんだったら 風呂にはいってよ」

         あまりの剣幕に 驚いたようだった。

         泣き声でとしこさんのとこへ電話を掛けようとしたが、番号が押せず通じ

         なかったので番号を押してあげた。

        「すぐきて、その時言うで」と叫ぶように言っていた。

         10分くらいして としこさんが来てくれた。

         来てくれたころには 何を言うのだったか 忘れてしまっていたらしい。

         私「あまり風呂にはいれと強く何回も言ったので 恐ろしくなったらしい」

         としこさん「風呂は入った方がいいよ、気分もすっきりするし、汗もなんかも

         出るといかんし、家族風呂へ行ったらどうかな、お父さんと一緒に行けばいいがね

         3人でも1000円で行けるよ」

         後は 夏服の話とか、花の話をして、気分が落ち着いていたので帰って行かれた。

           風呂に入らないことを放置した人権問題と 入りたくないのを無理に入れようとした

         人権問題とどちらがより人権を侵害したことになるのか?

         風呂作戦は、当分棚上げだ。

         母さんが庇護者を失ったら(母さんが お父さんは庇護者ではない と思った時)

         日常的にすがる者がいなくなって、情緒不安定に陥り、病気が一層悪くなるだろう。

           

    2002.7.4(木) 晴れ 

        ◎ 午前中 岩戸公園へ散歩に行った。帰りにチボリへ寄った。

        ◎ 帰った後で 「手がしびれる ぴりぴりしている」と言った。

          今朝、「こわいこわい」と言っている時、いつもより緊張が強く

         手を拳にして 握りしめていたためだろうと思う。

         昨日、風呂のことで、逃げ場のないように問いつめたからである。

         それでも風呂に入らなかったが....。

         昼ごろまでに治っていた。

         2年前にも 起きがけの緊張状態の時に、全身に力を入れて震えていて

         足がしびれて立てないことがあった。その時も手もしびれていた。

        ◎知り合いの人から「カットしてもらえないやろか」と電話があった。

         母さんに聞くと「やるよ」と言うのでOKした。

         無事終わった。

        ◎午後、「本巣へ乗せていって」と言うので本巣へ行った。

         私「今日も一回行くだけだよ」と どうせ忘れてしまう事を知りつつ念を押した。

         母さん「2回も行くはずがないがね」

         私「そうやね」

         ばちゃの家に着くといつものようにおやつを食べて お茶を飲んで

         テレビを見て、母さんが「もう良い」と言うまで居て帰ってきた。

         家に着いたのは4時だった。

        ◎イスに掛けていて母さん「真っ暗になってしまう」と言った。

         「早く行かんと暗くなって 帰れなくなってしまう」とも言った。

         私「今日はもう行ってきたから行かないよ いま2人で行って帰ってきた

         ところやろ」 

         母さん「そんなこと何にも聞いていないでわからへん」

         私「聞くとか 聞かないとか言うことではなくて、現に身を以て2人で行ってきた

         事だから聞かなくても解ることだよ。赤いグレープフルーツのおやつを食べて

         焼きそば食べて、テレビを見て、来たがね」

         母さん「そんなこと何にも知らん」

         私「忘れたかも知れないけれど行ったことは確かだよ。それはばっちゃに聞けば解るし

          ちょうど行っている時、ガス屋さんが来て ガス漏れが あるか無いか点検して行った

         から聞けば解るよ」と真実ではあるが必要のない あるいはほとんど意味を持たない

         論証をした。

         母さん「どうしてそんなに怒るの」と言って、散歩コースの方へすたすた歩いて

         行って しまった。5時といえば まだ日は高く 外気温36℃。

         連れ戻しに追いかける。「怒ってはいないよ。二回も行けないし、状況の説明をした

         だけやから」

         母さん「二回も行っていないも」

         私「忘れたかも知れないけれど、もう一回目行ってきたのや 忘れたことを怒りは

         しないよ。病気だから仕方がないことだもの。誰だって忘れることはあるし」

         母さん「誰だって忘れることはある」

         連れ戻してきて 冷たいフルーツと冷たいお茶をあげたら、気分が落ち着いてきた。

         風呂作戦の後遺症が残っていて、母さんの警戒心が解かれていない。


    2002.7.5(金) 晴れ薄曇り 暑い

        ◎本日朝7時50分から だまって出歩き。付いて行かなかったので 私から見れば

         一時行方不明で、一時間以上来ない時は 捜索願を出すことにしているので

         その寸前の 8時35分にもどって来た。としこさんとこへも寄っていなかった

         以後 10分〜15分出て戻っての繰り返しで 出歩きの合計8回。

         3回分は気が付いて、追いかけて発見し、一緒に歩いてあげた。

         それ以外は 追いかけたが見つからず、自分で帰ってくるのを待った。

         一回はとしこさんとこへ、寄っていたが、ほかは 何処をどう歩いたか不明

         戻ってきた時は、「暑かったやろ」と冷たいお茶を出してあげた。

         10時半に 戻ってきた時は、気晴らしにと 喫茶店へ連れたいってあげた。

         同行中は普通の気分だったのに、帰った途端に”外出”してしまった。

         風呂工作 以後不安定が続いている。

        以下は”外出”をはさんでの出来事 

          ◎家の中であちこちしていて

        「もうダメだ、自分でダメなことが解る。死にたいよ」と泣き声で叫ぶ

        私「そうか だめか。だけど 死んではいかん。この周辺では 婆さんや 爺さんが

         多いけど、それぞれ何かを残して、亡くなって行っている。何かと言っても形のない

         事もある。それぞれの家族の中で感謝されたり、思い出の中に残っている。人間の知恵

         と言う形で残っている時もある。母さんは このお店を作り、始めからいままでに

         2000人の人に接している。病気になってからでも 母さん絵を描いて200枚以上

         あるよ。他に工作みたいに作った物もあるよ。ボーリングの点数表も有るし、

         出来なくなってしまったこともあるけど、出来ることもいっぱいあるから、楽しみながら

         何かを残していく、事にしていこうよ。

         もし いろいろやることが不自由になって出来なくなってきたら、お父さんが

         何でもやってあげるから まかしとけ。」。

         母さん「ありがと。ありがと。ありがと...。」

            ◎やはり気晴らしにと2時から3時まで、障害者訓練センターへ行った。

         センターにいる時は 指導員の人や他の参加者と話ながら楽しくやっていた。

        、 ◎苧ヶ瀬の池散歩3時半から5時半

         帰ってきてまた出ていった。10分たっても戻らないので自転車で探しに行くと

         としこさんの方へ行く道を戻って来つつあった。私が「としこさんとこへ行ってきたの?」

         と聞くと「おらへなんだ」と。この時間にいないことはないと

         「じゃーもう一度行ってみよう」と向こうへ引き返した。

         としこさんの所で30分くらい話していて、帰ってきた。当たりが暗くなりかけると

         もう”外出”しなかった。

        ◎7月7日に静岡県のS氏がご家族と共に来訪される。このかたは 我が家と同様

         奥さんが若年アルツハイマーで 介護をなさっておられる

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        福岡県のK様 お便り有難うございました。(2002.7.4)
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    2002.7.6(土) 曇り

        ◎朝 私が8時まで寝過ごした。6時半ころ、母さんに起こされたが、娘が

         学校が休みなので「今日はもう少し寝ていゃーよ」とそのまま寝ていた。

         ふと起きると、8時10分、隣に母さんが居ない。5分くらいは 私が

         はっきりしていない。

         としこさんのとこへ電話をしたが出なかった。自転車で探索にでた。

         途中にはおらず、としこさんのとこも出かけた後だった。家に戻りとしこさんの

         主人に電話をすると「もうすぐ着くでしょう。今朝7時10分くらいに家へ来た」

         とのこと。

         母さんば 今朝 私が起きないので一人でとしこさんのとこへ歩いていき、

         少し話していた。としこさんの主人は ふだんはバスで会社に行くが、としこさんが

         母さんのドライブを兼ねて会社へ送って行った。と言うことだった。

         8時半ごろ、戻ってきた。

        ◎今日は生協の配達日。

         生協の配分が済んだ後、としこさんに 母さんは シャンプーしてもらった。

         としこさんが帰った後、少しして母さんは歩いてとしこさんの所へ行ったが

         出かけた後だったので戻ってきた。

        ◎不満そうだったので、下葉栗農協の朝市へ行き、花と野菜を買ってきた。

         スーパーと付属花屋で買うと 2500円程度の物が1000円少しで買えた。

        ◎ 娘も家にいて 暑かったので 昼食は ひやむぎにした。

        ◎ 昼から カーマ(日用雑貨品・建材・庭園材のスーパー)で買い物。

        ◎ その後 母さんを 大垣方面へドライブに連れていってやった、(初心者

          マークの運転で)

        ◎ 

    2002.7.7(日) 

        ◎私が2人いる?

         昨日の昼ごろ「顔も名前も知らないけれど ぐちゃぐちゃ言っとった」

         と言っていた。

         昨夜 寝る前は「いやなことを言う人がいるんやて、ほんとに」と言って

         キッチンペーパーをしめらせて足先を拭いていた。

         ☆母さんから見て 私が二重化。

          病気でないならば たいそうな皮肉であるが 本人は別人に普通に話して

          いるつもりでいる。

          何でも受け入れる目の前にいるお父さんと 4日前 強引に風呂にはいる

          ことを進めた 自分にとっていやなことをやらせる 顔も名前も知らない人

          の2人いることになる。

         ☆風呂作戦が一定の印象を与えた。

          「二重化」になったとは言え、足拭き行動に駆り立てたことは確かだ。

          風呂にはいらせる事は出来なかったが 足先が黒くなっていることは

          自覚したようだ、

         ☆行動の目的不達成。

          ストッキングの上から拭いていたから、拭けていない。

          私が促して「ストッキングを脱いでから拭こうか」というとストッキングを

          脱いだが2枚ストッキングをはいていた。もう一枚脱がなくてはならない。

          私がついでに「もうひとつのも脱いで下着も替えたら」と言ったら、混線して

          しまった。

          それでも 1枚はいた上から 拭いていた。当然のことだがきれいになら

          なかった。不機嫌になっていたので放っておいた。

         ☆4日前、私が「お風呂へ入ろう」と言っている時、娘に助けを求めたが

          やんわりと「風呂は 入った方がいいんじゃない」と言われ としこさん

          とこへ言っても「シャワーでも良いから浴びようか」と誘われ、助け船というか

          逃げ道というか それを失って、動揺を来たし、一週間前と較べると

          私には、行動目的の解らない行動が目立ってきている。小さいことにこだわって

          大きい物を失うことになってしまった。

          よく観察すれば 必ず道はあるから、

          考えていることと 何もしないこととは違うから、あわてずに....

        ◎ ”黙って外出”について、   ☆”黙って外出”もいろいろ訳がある。

           どこかへ 何となく行きたい時。

           家の中が 自分をのびのびさせない時、自分にとって不快な時

          ☆”黙って外出”するようになる状態。

           初めは行き先を告げて、出で行っていた。

           様々な状況で 主として安全を考慮して反対されると黙って出ていく頻度が

           増してきた。

          ◎朝 岩戸公園へ散歩に行った。リスが木の枝を走っていた。5匹以上はいた。

         散歩から戻ってくると、すぐその足で、母さんだけ としこさんのとこへ行った。

         付いて行かなかったが無事だった 。

        ◎午前11時 静岡県のS・K氏 次女の娘さんと お婿さん お孫さんで

         3歳くらいの女のお子さんと来訪された。

         S・Kさんは 我が家と同様奥さんが4年前から若年アルツハイマーで 介護を

         なさっておられる。今日は長女の娘さんが 病気の奥さんと お留守番だと言う

         ことだった。奥さんの病気の程度は S・Kさんのお話をお聞きしていると

         体も心も元気で 家の母さんよりも 軽い感じだった。

         病気の程度や状況は違いがあるが お互いに参考になる点があるかと思い、

         「こんな事がありました」「あんな事がありました」。「こうしました」

         「ああしました」と話し合った。今後の おつきあいを約した。

        ◎ 私「今日は何かあったかなー」

         母さん「知らん」

         私「なんかこんな小さな動物見なかったかな」

         母さん「ああ いたち いたち 木から木へ すばしこいんやて

         ものすごく小走りが早くて。早い早いものすごく早いわ。

         あれでは なかなか捕まえられへんわ。5匹くらいいたよ」

         −−−−リスといたちと間違えていたが、リスを見た印象を言葉を駆使して

             伝えようとしていた。−−−−

           

    2002.7.8(月) 

        ◎2週目のディケアに行った。プログラムの進行は おおむね良い物だったと思う

         が 母さんのデリケートな神経には、適合しないところがあってか1回自宅へ帰って

         昼からまた行った。

         保護者に対する、事前の打ち合わせ不充分。「施設の方針を当然分かっている」との

         立場からの 施設の物言いには反対。解らなければたずねよ との立場ならば

         それも違う。事前、あるいは1回目出席の経過から、特に施設の意思表示がなければ

         私が適切と思う行動を取る。

         そのことを含めて、アルツハイマー病を取り巻く諸因子の諸矛盾の現実的現れである。


    2002.7.9(火) 

        ◎母さん朝から元気なし。朝食に手を付けないので、喫茶チボリへ連れて行った。

        モーニングサービスのパン、サラダ、フルーツ、ゆでたまご は全部食べた。

        ◎帰ってきて、ケアマネージャーの人に電話し連絡しあった。

        ◎ちょっと間があって「もうだめだ、死にたいよー」と言って泣き出した。

         「ダメなことが自分で分かるもの」と言い、「もうだめだ、死にたいよー」

         繰り返しながら泣いていたので、小さい子をなだめるようになだめた。

         五分くらいでとまった。

        ◎泣くのが静まってから 母さん「帰る 帰る」と言うので本巣へ連れて行ってやった

         ばっちゃに泣きつくなら それもいいと思って 見ていたが いつものしっかり者の

         娘を振る舞って、泣きつきはしなかった。

         一時間ぐらい遊んで「もう帰る」と言うので帰ってきた。

         再度 「本巣へ行く」と言ったが 私が「今日はもう行ってきたからまた今度にしよう」

         と言うと、今日行って来た記憶は薄れていたようだったが「また今度でいい」とすんなり

         要求を引っ込めた。

        ◎夕方私が歯科へ行った。私が診察室に入っていると母さんは 私が居なくなった

         と思って外へ出ていくのが窓から見えた。私はエプロンを掛けたまま外へ飛び出し

         駐車場で声を掛け戻ってきた。母さん「何処へ行ってしまったのかと思った」と。

         私「中にいるから大丈夫だよ」と言うと、にっこり笑って その後はしまいまで

         待合室で待っていてくれた。

         こんなことは初めても事だ。

         

    2002.7.10(水)雨 台風接近中 

        ◎朝から午前中雨の連続で散歩に出ず。

        ◎午後から 障害者訓練センターへ行ったが台風接近中のため中止で休みになっていた。

        ◎雨が上がっていたので岩戸公園で散歩

          ◎ 私「今日は何かあったかなー」

         母さん「知らん」

         私「誰か見なかったか」

         母さん「亀 と言う人にあったよ、面白い人や」

         −−−−とある事務所で知人に会い 2た言、3言立ち話した相手の人、母さんも

          前々から知っている人−−−

        ◎当地 天気予報は午後3時から夜半に掛けて 雨予報だったが

         3時から雨が上がり 夜半までは雨が降らなかった。

        ◎明日、介護保険証の更新のため 辻さんという人が調査に来る予定。


    2002.7.11(木) 晴れ

        ◎台風、私の居住地域では昨日午前 大雨の後、雨は上がり、本日は朝から暑かった。

        ◎6時40分起床

        ◎母さん、朝起きて、朝食準備、洗濯干しの間、台所でじっと座ったままだった。

         いつもは リンゴの皮むきなど手伝うのに、少し進んできたようだ。

        ◎10時介護保険の認定調査有り、風呂や衣服の脱着について軽く言い過ぎた

         ような感じだった。

        ◎11時別件で契約ケアマネージャーと相談。

        ◎午後、市障害者訓練センターに行った。ぬいぐるみの絵を描いてきた。


    2002.7.12(金) 

        ◎母さん M病院で診察。特段の変化無し

        ◎ケア施設へ電話。

         プログラム内容は良いが事前打ち合わせ不充分と

         次の旨伝えた

        ◎−−−−−−−

           [ 保護者に対する、事前の打ち合わせ不充分。「施設の方針を当然分かっている」との

         立場からの 施設の物言いには反対。解らなければたずねよ との立場ならば

         それも違う。事前、あるいは1回目出席の経過から、特に施設の意思表示がなければ

         私が適切と思う行動を取る。善意で付き添っていたのに、居るのが悪いみたいな

         ことを言われては はなはだ不本意だ」 ]と

         施設の人「なるべく介護者の その他のことをする時間を確保されるよう。

         との立場でしたが...」

         で 次回3回目まで付き添いをし 4回目で付き添いをしないテストをして

         施設の立場、私の立場を出し合って来月以降のことを その時点で決めることに

         双方で同意した。

         整理して しゃべることが 大事かと思った。

        ◎靖子さんの姉さんが主人と来て 髪のセットをして行った。

         母さんは そこで話をしていたりしたので、私は1時間ほど寝た。

         

    2002.7.13(土)雨 曇り 

        ◎生協配達日。

        ◎母さん 6月ごろまでは「つまらんねー どっかへ行こ」としきりに行っていたが、

         7月に入って、じっと座っていることが多く「どっかへ行こ」と言わなくなった。

         ときには、居眠りしていることもある。

        ◎ここ10日間くらい 朝「こわい こわい」も言っていなかったが、今朝言っていた。

        ◎今日は、「帰る 帰る」と言わなかった。

         

    2002.7.14(日) 曇り 晴れ

        ◎9時 田圃方面へ散歩。晴れ間はあったが、雲が陽を遮るところにあり、散歩中は

         障害無し。時刻が遅かったせいか、白鷺は居なかった。暑くなると夜明けから

         6時半ころまでしか白鷺は居ない。

        ◎10時30分、喫茶「チボリ」へ。

        ◎午後 山側へドライブ。

        ◎今日の記憶

        −−−−母さん「チボリへ行った。」−−−

        ◎−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
         K様 からのお便り(2002/7/4)
        ご主人がご病気で、奥様が世話をしておられます。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        ご無沙汰してました。毎日HPは拝見しております。主人がデイケアへ行き始めて2ヶ月が

        たちました。従兄のお葬式で休んだだけで後は休まず行ってます。朝からきついだの

        行きたくないだのと言うのですが時間になると父がバスが来るところまで連れて行きます。

        デイケアではボーっとしていたり、ソフトボールをしても反対方向へ走ったりと行動は

        おかしいことはよくあるようです。主人にはリハビリだと言い聞かせているせいか休んだら

        いけないと思っているようです。今の所私がいなくても(デイケアで)困ることはない

        ようです。いつの日か一人ではいられなくなる日が来るのでしょうね。

         田口様をしっかり頼っておられる奥様がかわいくもあり、又、田口様の自由がないのが

        大変なことだといつも考えさせられております。お風呂は最近湯船につかるだけであがって

        くるようになり、週2回強引に後から入って体や頭を洗うよう促したりしています。

        石鹸の場所とかがわからなくなり洗っていないことがわかりました。

        奥様に一緒に入ろうと誘ってみてはいかがですか?

        新婚気分になったつもりで・・・「僕の体を洗ってくれないかなー?」なんて言って・・・

        駄目ですか?

        土曜、日曜の休みはズーッと寝ています。デイケアで疲れているのでしょうか?

        することがないからでしょうか?今のところ問題行動はあまりありません。

        ほとんど寝てるからです。いつどういう状況になるのかがわからないだけに毎日の不安は

        隠せないのですが、なるようにしかならないのでその日その日にあわせるしかありません。

        いつまでデイケアへ行けるかわかりませんが長く行ってくれることを願うしかありません。

        奥様も慣れて一人で行けるようになることを祈っております。お体お大事になさってください。

        乱文お許しください。   福岡県 K

    2002.7.15(月) 

        ◎ 母さん8時35分から、デイケアに行った。私は姿を見せぬよう、下の

         待合室で待機していた。10時35分、「ちょっと来て下さい」と言われて行った。

         母さん「帰る 帰る」と言っていたので 帰ることにした。

         男性職員の方の話「じっと黙っておられたのち、入り口の方へ行かれた。留めていたら

         拳でたたかれた。(私でしたからなんともなかったですが..)」

         私「今日は連れて帰ります。当初は一応今月分は来る予定でしたが、そちらに不都合

         ならば中止します」

         「次週もう一度来て下さい」と言うことで次週もう一度行くことになった。

         −−−−連絡帳のこと−−−−

         −−次のように連絡帳に書いた−−

         ふんいき場慣れが必要と思われます。介護者の「顔」が見えたか、見えなかったかと

         いう問題ではない。他の場所へ行った時もそうだった。プログラムへの参加について

         本人は「おもしろかった」と言っていた。「また行くか」と聞いたら「行く」と言っていた

         −−連絡帳での施設の通信−−

         確かに介護者の顔が見えたか...というよりこの場になれるというのは大切ですが

         田口さんの場合は 正直 状況が違う為、不安が大きく募るのです。私たちがどんなに

         落ちつかせようとしても、いたはずのご主人がいなくなっている...いうのは不安に

         なるものなのです。当方はじめ介護施設というのは、家族が当事者の心配をする事なく、

         用事をすませたり、日常生活を送る為、利用する場です。主人がついてきている状態では、

         本当に介護を必要としているか...も問われます。
         −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

         ※ 介護施設の目的はちょっと違うような気がした。早い話がこの施設自体が、

          病気の人の回復訓練、または延命に取り組んでおられる。患者の立場に立って、

          事を進めることが基本で そのようにすめながら

          「諸般の事情から 現状ではやむを得ない」ということが出て来ても仕方がない

          と言う事だろう。

         読者の皆さま ご意見がありましたら、送って下さい。

         

    2002.7.16(火) 豪雨 のち 晴れ のち 曇り

        ◎夕方 ふと母さんが言った。昨日の事だ

         「私が行こうと思ったら、鍵が掛けてあった。顔を殴ってやった。2回殴った。」

         これは事実のようだ。昨日の事を覚えていた。

        ◎今日は 家にいたり 私について行ったりして過ごした。

        ◎−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
         S K様 からのお便り(2002/7/9)
        奥様がご病気で、主人が世話をしておられます。先日我が家へお出でいただきました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        田口さん、おはようございます。

        お礼の返事が遅れて申し訳ございません。

        日曜日はお忙しい中、僕の為に時間をさいて頂き誠にありがとうございます。

        それに、ご家族までご紹介して頂き・・・・・本当にありがとうございます。

        会社から帰っても、中々パソコンの前に坐る事は出来ません。

        前にも書いたと思いますが、パソコンに嫉妬するからです。

        田口さんの奥様どうよう相手にされないと、奥へ(自分の部屋)行って

        黙り込んでしまいます。

        奥様のお顔を拝顔して家内より相当痴呆が進んでいると思いました。

        いずれ家内も奥様のようになるのかと思うと、、、、、、、。

        でも、なんでこんな病気になったのか不思議です。

        神様の悪戯かとも思いましたが、悪戯にしては度を越しています。

        僕が若い時に遊びまわった「ツケ」がきたのかも?

        歳を老いての「ボケ」なら判りますが、まだ50歳過ぎでこんな病気に

        なるとは、、、、、信じられません。

        そうは云ってもなってしまったのだから、この先苦労を共にした家内と

        一緒に死ぬまで暮らして行きます。

        ただ心配なのは、僕が病気で倒れてしまった時のことを考えると夜も

        寝られない日があります。

        田口さんと知り合えたことで、僕にも勇気がわいてきました。

        もし何かあったら今後も良きご相談相手としてお付き合い願えないで

        しょうか?

        それから********にお越しの時は是非電話でもメ−ルでも

        結構ですので連絡して下さい。

        本当に日曜日はありがとうございました。

               S・K。


    2002.7.17(水) 曇り 時々ぱらぱら雨

        ◎今日は 私が国立岐阜病院へ診察に行った。帰り道で喫茶「チボリ」へ。

        ◎午後は事務所内作業

        ◎母さん気分は落ち着いていた。何も言わないでじっと座っている時もあった。

        ◎明日は 試験的に ヘルパーさんが来る


    2002.7.18(木) 薄曇り 晴れ

        ◎1時30分から3時30分まで、ケアマネジャーの人と一緒にヘルパーさんが

          来てくれた。ケアマネジャーの人は過去3回来てくれて母さんと親しくなっていて

          つなぎをしてくれた。

         その時、呼びかけてくれたが 母さんは動こうとしなかった。

         私が「ちょっと待ってください」と合図して、「ちょっと向こうへ行ってみー」と

         母さんを促して、表へ出て、植木棚からハイビスカスの花を取ってきて、

         「咲きかけたから店に飾ろうか」と手渡すと それを持って店へ出た。

         そこをつかまえて、2人が話してくれたので、母さんも話に乗って行った。

         話題につまるといけないので、母さんが描きためていた絵をを2袋 約50枚を

         もっていった。ヘルパーさんの聞き上手がはっきり分かった。

         その絵1枚1枚について、母さんが 得意になって説明していた

         私はその間にケアマネージャーの人と打ち合わせをしケアマネージャーは帰られた。

         その後、母さんはヘルパーさんと一緒に、ぬいぐるみの絵を描いた。

         

    2002.7.19(金) 
        ◎午前に娘の 塾で個別懇談があって行ってきた。「夏から秋にかけての追い込みで

         11月にどの程度の水準に到達するかで決まる」ということだった。

        ◎母さんは午前から としこさんに連れていってもらって、市障害者訓練センター

         へ行った。原則的には付き添いは必要ないが、居ても差し支えない との事で

         ”無断外出”すると行けないので付いて行ってもらった。

         部屋は開いていたが ”送り迎え”を利用する人がほとんどで、実際の始まりは

         10時30分からだった。

         今日もぬいぐるみの絵を描いてきた。

         3時で終わり、3時30分に帰ってきた。

         飛行船のチケットをもらってきた。

        ◎しかし、夜になったら何も憶えていなかった。

        ◎−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
         KM様 お便り有難うございました。
         KM様 からのお便り(2002/7/18)
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
         ご主人にはお気の毒ですが介護施設の方が言われていることもわかります。ご主人が自分

        の時間を作ることができ、息抜きができることを目的としたデイケアサービスだと思います。

         今の奥様のご様子ではご主人がいなければ何も出来ない状況にいらっしゃると思います。

         自営業をなさっていることで仕事かたわらで介護をされ、奥様はご主人しか頼る人が

        いない状況で、顔が見えないと不安になって探される。

         顔が見えればご主人のそばへ行かれるのは当たり前のことだと思います。

         大変なことだとは思いますが、思い切ってお迎えをお願いしてご主人がついて行かれない事

        だと思います。

         何かと心配だと思いますが慣れるまでは時間がかかると思います。心を鬼にしてしばらく

        様子を見て見ませんか?

         家の主人もデイケアへ行き始めて2ヶ月が過ぎ今ではスポーツなど積極的に参加している

        ようです。連絡ノートに自分で意見を書くようにもなりました。

         まともな文章ではありませんが・・・奥様より1年発病が遅いせいか対応できているのかも

        しれません。

         でも最初の1ヶ月は行きたくないとよく言ってましたがどうにか休まず行ってくれていま

        す。私が勤めていて放れている時間が長いので私を必要としていないのかもしれません。

        両親とも同居してますし、私はかなり楽させてもらっていると思っています。

         自由な時間は今しかないのかも知れません。病気が進めば対応できなくなってくる

        だろうから、今を大事に鋭気を養っているところです。

        ご主人の心配が強く、反対に奥様から離れることができないなら、無理に施設へ預ける必要

        もないと思います。

         しかし、どこかで息抜きをしないと本当に介護疲れでご主人のほうが体を壊してしまい

        ますよ。たいした意見ではありませんが長々とすみません。

        ご主人のほうが介護歴長いのに偉そうなことを言いましてお許しください。

          K・M
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


    2002.7.20(土) 晴れ

        ◎生協の配達日

         としこさんが来て、母さんシャンプーをしてもらった。

         いろいろ誘導して、シャワーを浴びる事になって、お風呂場へ。4ヶ月ぶりくらいかな。

         来週もこのようにしたいところだ。週一回でも4ヶ月と較べたら前進だ。

        ◎昨日 母さんが 訓練センターへとしこさんと行っている間に、母さんの枕元と、

         下着を整理した。

         ※というのは、母さんの自立心が強く衣類とかにさわると 

         「誰も頼んでいないのに勝手に洗濯して...」などと言って怒り出す。

         そうではあるが 「一緒に洗うから」と言っても自分のを出さないし、

         適宜 促しても自分の着ていたものについて 自分では洗濯をしない。 

         ※「着替え」についても 衣類が小物タンスの中に、整理はされているのだが、

         5つつある 引き出しにバラバラに入っている。調子の良い時に着替えを促しても

         自分で出す事が出来ず、探している間に、何をしていたのか忘れてしまう事がある。

         昨年12月くらいから、衣類の管理は出来ない事が分かっていたが、人にさわらせない

         ようにしっかり抑えているので、手出しが出来なかった。

         ※枕元はふくろが14・5個敷き詰められるように並べてあり枕の横のふとんにまで

         進出してきていた。そのほか冬物セーターなどが数点積み重ねておいてあった。

          ふとんを干すのは はじめから 私の役目になっていたので病気以後も抵抗無く

          時々干しているので、天候の変化が多い本日は干さなかった

            ◇作業は まず小物タンスから。

          中を見て、以外と下着類が少ない事を発見。少なくとも10セット以上はあるはず、

          事によれば15セットかも....。とこへいったかな...

          ◇次に枕元のふくろだ。一つづつ整理していった。いろいろな物があった。

           バッグ、ハンカチ、筆記用具、ポケットティシュ、「備蓄ティシュ」、

          洗濯した下着セット、丸めたカーデガン、小銭、ダイレクトメール、

          旅行に行った時のとこかの入場券の半券、レシート、使用した下着類、

          種類別にまとめ、捨てる物は捨て、すぐ要らない物は別室へ移し 衣類は全部

          洗濯した。枕元には、外出用セットのみをおいて、全部その場から移動した。

          室内がすっきりした。

          下着類は私が別のケースに入れ、1セットづつ取り出せるようにし、管理する事にした。

          母さんは帰ってきてその場を見たが 何も言わなかった。

          ◎母さん 今日の気分は落ち着いていた。このごろは 公園へ車で行く時

          「美空ひばり」のテープを聴いている。

             

    2002.7.21(日) 晴れ

        ◎母さん、朝から5回ほど「くさいくさい」と言い、「おなかが気持ち悪い」と言った。

        その症状は5分くらいすると元に戻った。

        ◎娘は 日曜だが塾へ行った。

        ◎9時30分、頼まれていた美容のお客さんが来た。ロングのカラーだった。

         としこさんも来てくれて2時半ごろまでかかった。

         母さんの気分は安定していた。お客さんが来ている間にも「おなかが気持ち悪い」と

         言う事はあったが、情緒的不安定になる事はなかった。

         私は 母さんが店に 集中している間に、二階の部屋の整理やたまっている雑用の

         処理をした。2時から3時まで昼寝もした。

        ◎夕刻7時 室温35℃ と一日中暑かった。


    2002.7.22(月) 晴れ

        ◎朝8時半、母さんはデイケアに行った。今日は4回目。

         前々回(2回目)が終わった時予定したように、今日4回目は一人で行かせた。

         11時25分ころ、電話がかかってきた。母さんが掛けてきたが、ダイヤルは、

         施設の人に押してもらったのだろう。「もう帰る」と言うので、私が「昼ご飯だけ

         食べておいで」と言った。「いややもん」「昼の用意がしてないし食べておいでよ」

         少し黙っていたが電話が切れた。

         1時25分、施設の人から「迎えに来ていただけませんか」と電話があって

         迎えに行った。

         報告によるとドアをたたいたり、外に出て700メートルほど”徘徊”したり、

         係りの人3人に別々に殴りかかり顔に軽い怪我をさせたそうだ。

         「応じきれない」と言われるので、引き取ってきた。

         

    2002.7.23(火) 晴れ

        ◎午後Tケア施設へ見学に行った。時間より早く着いた。事務の人が 冷たい氷入りの麦茶を

         出してくれて ケアマジャーが来るまで待っていた。

         この事務の人 母さんにも「暑かったでしょう」と声を掛けてくれた。

         ケアマジャーが来たので、デイケアの部屋へ見学に行った。

         定員22名と書いてあり、出席は婆さんが多く15名ほどだった。

         見学の時いた職員は 事務長らしき人(この人が説明してくれたが)連絡帳を

         一生懸命書いている人、50代の女性で ラジオ体操に続いて古い歌を

         声を張り上げて歌っていた人、の3名だった

         その人と参加者の対話の中で気が付いた事は今日の日付が解らぬ人たちばかりだった。

         行ってみなければわからないので来月1ヶ月、週1回で行ってみる事にした。

         4時に帰ってきた。

        ◎私が机に向かっていると、母さん「お茶もってこうか」と言った。

         私「うん 飲もうか」というと 台所へ行った。

         少しして 母さん「熱いよう」と言ってもってきた。「お茶」は白湯だった。

         お茶菓子は 母さんが 今朝食べ残した食パンだった。菓子箱からクッキーを出して

         もってきた。

         私 「おーっ、ありがとう」と言って、食べた。

        ◎−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
         北海道の 後藤 治様 お便り有難うございました。
         後藤様 からのお便り(2002/6/20)
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        ・・・・(略)・・・・・

        「岐阜市細畑」とは何とも懐かしい地名です。

        本の末尾に、私の詳しい経歴を書きましたが、私は厚見小学校(戦中は国民学

        校)の出身です。自宅は名鉄茶所駅そばの、中仙道に面していました。学校の

        脇を流れる境川沿いに遡ると領下を越えたあたりから細畑でした。もう60年

        も前のことですが、記憶は確かです。

        リンクのことも、どうぞ。

        奥様、どうかお大切に。病気は百人百通りの筈なのに、教科書通り進むことも

        確かなようです。平安な日々が続きますように、祈りあげます。

        ・・・・・(略)・・・・・・

        ----------------------------------
         後藤 治

    2002.7.24(水) 晴れ 暑い1日

        ◎ 母さん岐阜県立病院で診察、帰りに 喫茶「チボリ」へ。

        ◎ 午後、母さんを連れて得意先や銀行へ廻り、「狭間不動」へ。お参りではなく、

          暑さを避けてみやげやさん兼食堂で休憩。山の上(中腹)にあるので下界より

          かなり涼しい。

        ◎夕方は 私が歯科へ行った。

        ◎夕食は母さん 果物剥きを手伝う

         煮魚と ポテトサラダ ミニかまぼこ。ちょっとお腹が空いていたらしく、

         皿につけると、そのそばから食べていってしまった。昔はそろうまで待っていたのに...

         残してある分を付けてあげた。

        ◎ 母さんの 本日の気分は安定していた。

        ◎私「今日は何処へ行ったかなー」

         母さん 「どこへ行ったかなー」

           私が 言葉は発せず 口を開いて歯を見せると

         母さん「ごとう歯科へ行った」

           


    2002.7.25(木) 
        ◎朝「恐い恐い」を言っていた。

        ◎午後ヘルパーさんが来てくれた。(1時半から3時半まで)

         ヘルパー「今日は 靖子さんにシャンプーのやり方を教えてもらいたいの」

         と言って 母さんの頭をシャンプーした。

         その間に「これどうするの?」とか聞いて。

         母さんは 手慣れた事であるので正しく説明していた。

         後の時間は母さんが 本を出してきていろいろしゃべっていた。

         時々笑い声も聞こえた。

        ◎私「今日はなにかあったかなー」

         母さん 「女の人が来てシャンプー教えてやった。」


    2002.7.26(金) 晴れ

        ◎先日、施設で係りの人を殴った時、手が黒っぽく内出血してにじれていた。

         今日もまだ黒い、相当強く殴ったらしい。係りのかた ごめんなさいね。

         母さんの”暴力事件”は 3年前に一度あったが その後全くなかった。

         母さんの病気は そう言う性格だと思っていたが、気分が不安定になり、

         脱出しようと思ったが阻まれて、目的遂行の為 殴ったらしい。

         そのような気持ちになるような状況におかれると、母さんも暴力的になる事

         がわかった。

        ◎このごろ 母さん 家の中で歩く時びっこを引いて歩くことか時々ある、

         外ではさっさと歩く。足が弱くなってきて、気楽な家の中ではそれが現れて

         外では、気を張っているので、それが現れず歩くのかも知れない。

        ◎今日は障害者訓練センターへ 私と行った。今日もぬいぐるみの絵を描いてきた。

         先日とは別の猫のぬいぐるみだった。一枚描いただけでは時間が余ったので

         もう一枚描いた。隣の席の しゃべり具合の不自由な人と話していた。

         母さんに意味が分からなかっただろうに、その人の話を聞き、話を連続させていった

         のには おどろいた。

         指導員の人が なにか冗談を言ったらしく、笑いこけていた。

         こう言うところへ行く事の3つの利点

         ・1・家族以外の人と接し、対話が出来る事

         ・2・やっている事は 水彩画、切り絵、ちぎり絵、刺繍、小物作り、竹細工その他諸々

            あるが、今のところ母さんは絵をやっている。対象を 鉛筆でデッサンし、

            色を塗っている。病気が悪くなってきた場合、急に 絵が描けなくなる

            のではなくて、症状はいろいろあるが、例えばデッサンが 変になる事が

            あるそうだ。手が長くなったり、耳が大きくなったり、胴体が無く手や足が

            顔から直接出ていたりすることがあるそうだ。母さんの場合、今日の所は

            モデルをほぼ忠実に描いていた。週一回以上続けていくと機能の退化の速度

            を遅らせる事が出来るだろうと言う事。

            機能の退化が防げなかったとしても、同じ私が付いているにしても、我が家で

            母さんが何もしないで 座っている時間を過ごすよりも 楽しい時間を確保

            出来るだろう。

         ・3・このセンターへ出かけるとなると例え少しでも自分の足で歩かなければ

            ならないことと、図画工作系の他に10分程度の体操の時間がある。

            体を動かす訓練にもなると言う事である。

            「帰る 帰る」と言って、”脱出”をはかると行けないので、私が付いていて

            絵を描かせる事を進めた。 「帰る 帰る」のけはいは全くなかった。

        ◎私「今日はなにかあったかなー」

         母さん 「猫の絵を描いてきた。保健所へ行って」

        −−−−訓練センター が 保健所と同じ建物の中にある−−−−

    2002.7.27(土) 晴れ

        ◎生協の配達日。

         生協の配分が終了すると、それぞれに帰って行かれた。

         母さん「みんな居なくなってしまった。だあれも居ない」としきりに言う。

         表情が緊張しているようだったので、「終わったからみんな家へ戻ったのやわ」

         となだめながら 喫茶「チボリ」へ連れていった。30分ほどいて帰ってきた。

        ◎暑かったか、空気は乾いていて、母さんの気分はその後安定していた。

         今日は 事務所の中の仕事で外出しなかった。母さんは私のそばにいたり、時折

         店に行ったり、二階へ行ったり、自由に振る舞っていたが気分の動揺はなかった

        ◎長良川で花火があった。15年くらい前までに2回 近くまで見に行ったが、

         すごい人混みなので 最近では、自宅近くに散歩のごとく、出て見るのが習慣に

         なっていた。

         母さんには どうしても見せてあげなくてはいけない。

         私「花火を見に行くか」

         母さん「見に行く 見に行く」と言うので3人で車で花火の近くまで見に行った。

         近くと言っても堤防までは混み混みで行けないので、川向こうまで行き農道に

         車を停めて、近くから見ていた。あちらにひとかたまり こちらにひとかたまりと

         見物している何組かがあった。

         母さん「あーっ すごいすごい 見てみー」とか「あの チカチカがきれい」

         とか言ってみていた。時折 車に乗り込んでおやつを食べたりジュースを飲んだり

         しながら見ていた。

        ◎昨日(7/26)知り合い業者に下水道工事の話をした。

         というのは 居住地区は 下水道敷設地域であるが、我が家は浄化槽を使用している

         ティシュペーパーが流せないとか、便所で消毒薬で掃除できないとかの

         不便があるので 下水道に切り替えようとしている。

         業者の話によると 「このあたりは平坦な水田地域であるので工事をすると

         なれば水田が乾燥する 秋が良いだろう」と言う事だった。

         現場を見て見積書を提示してもらう事になった。

        ◎私「今日はなに見て来たかなー」

         母さん 「知らん 何処へも行かへん」

         −−−−見ている時は あんなに騒いでいたのに帰ってきた時は何も憶えて

         いなかった。私が「花火見てきたがね」と言ったが「知らん」と言った。−−−


    2002.7.28(日) 晴れ

        ◎いつも通っている通り道で、魚屋さんが廃業された。表側を改装して居宅のさまに

         してあった。私「あっ、魚屋さんが もうやめられたのやね」

         母さん「この前 工事して見えたわ」と言った。

         工事していた事を憶えていたようだった。

         会話が 記憶の訓練になると聞いて、出来るだけ しゃべるように心がけている。

        ◎記憶も 表に出さないでおくとそのまま 消えていってしまうだろう。

         

    2002.7.29(月) 曇り

        ◎曇り空だったが暑い1日だ。

        ◎母さん 今日は 前回とは別のケア施設へ「お試し」と言う事で 9時に送迎バスで

         一人で乗っていった。不安が強まって、手が付けられなくなったら連絡したもらう

         事にして 私は自宅で待機している。

        (ただいま1時)昼まで持ちこたえるかどうか

         と思っていたが12時は過ぎた。でもわからん。前回のように 昼も食べないで、

         暴れているかも知れない。

         そんな事を気に掛けながら 私は その間にあちこち 掃除をした。

        (ただいま2時)この時間まで ”連絡”がないと言う事は 昼食は食べたらしい。

        4時半ころ、送迎バスで戻ってきた。私を見て喜んでいた。

         「昼ころから 1時間くらい 入り口のところで座っておられた。昼食は食べられ

         なかった。昼から 一緒にやられた。暴力的な事は何もなかった。」

         降りる隙に 簡潔に言われたが なかみはわかった。

         母さん、感想。

         「ぐちゃぐちゃどうでも良いような事をしゃべっているだけやし」

         「何の価値もない」「何にも面白くない」「もう二度と行かない」

         「変なおばさんが しゃべってばかり居て ようあんなにしゃべれると思うよ」

         「くそばばあばかりや。顔も見たくない」


    2002.7.30(火) 晴れ

        ◎母さん 昨晩 床についてはいるのだが 12時すぎまで「家へ帰る 家へ帰る」

         と言って寝なかった。

         夜は 寝付きが良くて 今まではこんな事はなかった。

         私「もう 暗くなっているから また今度にしよう」となだめた。

         「うんうん」と返事をしながら、また「帰る帰る」と言っていた。

        ◎午前中は 私は事務所で仕事、

         母さんは 昨日の事をしゃべっていた。

         私は 徘徊して 警察に保護された時も、どこかに行って、1時間以上”不明”

         だった時も 状況を尋ねない事にしている。憶えていなければ情報としての意味

         がないし とがめられたと思って、いじけてしまっても行けないから。

         昨日の事を自分から、ぶつぶつしゃべっていた。

         「全部鍵がかかってしまっていて出られーへん」

         「『こういうシステムになっていますからねー』 なんて言ってさ」

         「おっちゃんが迎えに来てやるって言うから ずーっとまっとったんや

          そこで1時間ぐらい待っておった」

         「行こうとすると 止めてまうやろ だからそこから出れーへんのやて」

         「もういいや もう2度と行かないから」

          と言っていた。

         「『だめなものはだめや』とけちらかされた で ガラスのとこでじーっと待っておった。」

         「そう言う人を固める為にそうやっておるんやろ」

         「ほんのちょっとだけのおかずをもってきた。私食べへなんだ。」

          昨日 係りの人が言われた。つぎのことと

          昼ころから 1時間くらい 入り口のところで座っていた。昼食は食べなかった。

          やられた。暴力的な事は何もなかった。

          内容が対応していた。

        ◎昼から 粗大ゴミを 市処理センターもって行き、帰りに本屋に寄った。

        ◎ケア施設へ行く 次回のことについて ケアマネージャーと相談。

         ケアマネ「ご主人と いつも一緒ばかりだとたいへんだから 独り立ちする

         ように したほうがいいかも... 」とのこと

         ◇しかしまあ だんだん 人を頼るようになってきた という経過もある。

         ◇慣れさせるにしても、はじめは半日ぐらいからと言う方法はないのかなーー。

         ◇できるだけ 気のむくままに 過ごさせてやりたいと思うし、それが悪化を

         防いできたとも思っている。

         ◇しかし 例えば 注射とか 手術とか(いまのところ注射を嫌っていないし、

          手術の必要ある病気も発生していないが)不快な事でもしなければならない事も

         発生する事がある。が 私の 手間暇だけを考えて ”不快”な場所に置く事もない

         とも思う。


    2002.7.31(水) 晴れ

        ◎母さん 朝から 気分がわるかった。

         「待っておったけど 迎えに来てくれなんだ」と 月曜日の事を言っていた。

         はじめのうちは 小さい子のように訴えていたが、そのうちに泣き出してきた 

         気分直しにと喫茶店へ行った。その時は機嫌良くしていたが 家へ戻って30分すると

         また思い出して 泣き声から 怒り声に代わって、だんだん 怒ってきて興奮してきた。

         暑いのに ふっと外へ出て5分くらいで戻ってくる事2回、昼ご飯も食べず1時半まで

         怒っていた。

         その間に言った事は「鍵を閉めてしまって おかしいと思う」とか

         「『こっちへ来てお話ししようか』なんて言うけどしゃべる事なんて何にもない」とか

         「おかずを少し食べただけや」とか言っていた。


    2002.8.1(木) 
        ◎午前中は 入場券をもらっていたので 劇団『飛行船』の「シンデレラ」を 

         母さんと としこさんと3人で見に行ってきた。母さんおもしろい場面で

         笑ってみていた。

        ◎3時から5時までヘルパーさんが来た。

         いろいろやってもらって遊んでいた。

        ◎月曜日の後遺症は 本日も出て 夕方6時から7時ごろまで、ごねていた。

         母さん「迎えに行ってやると言っていたやないか」

         母さん「1時間ぐらい待っておったけど 迎えに来てくれなんだ」と言っていた。

         現在の”介護”社会的水準がこの現象を引き起こしていると思った。

         この程度の 本人の不満は 無視するか内包したまま慣れさせるか、

         もう少し(意志表現が出来ない程度に)病気が悪くなるまて゜待つか

         どちらかである。

         その不満を転稼して私にぶつけてきた、私はなだめたり やむを得なかった事情

         について合理的に説明したりして母さんが納得した場面もあった。(手に負えない

         事情で連絡があれば いつでも迎えに行くことにしていた。)

         「めんどくさくなったんやろう」とか「ほっておくつもりやったんやろ」とか言った。

         「次回はこの施設へはもう行かなくていいようにするし、短時間のケア施設を探して

          みるから」と言う事にした。

         それでも絡んでくるので 母さんには わかりはしないのに 私は「過ぎ去った事は

         時間を繰り戻して処理はできない。今後母さんが そんな思いをなるべくしない

         ようにと対策も考えた。過去の事については 代替要求をするしかないが、

         どうしてほしいのかな。『放っておくつもり』と言うけれど 

         そんな程度は『放っておく』には 入らない、俺は出ていくから気を付けてやってくれ

         お金の心配はしなくて良い。きちんと出来るようにしておくから」と言って出て行き

         かけた。母さん「そんな事言っていないって」と泣きながら着いてきた。

         さらに10分くらい言い争っていた。

         出ていく気が失せてしまった。

         この3年間にも、母さんがこんなに 私に 攻撃的になる事はなかったし

          からんできた事もなかったので 施設の状況がわからず 行かせたのが

         わるかったのかなーと思っている。

             

    2002.8.2(金) 
        ◎起きがけの「こわいこわい」は言っていた。

        ◎下へ来て朝の用意をしていたら また

        「鍵かかっておって1時間ぐらい待っておったけど 迎えに来てくれなんだ」

         と月曜日の事を言い出した。

        「迎えに行ってやると言っておったやないか」と。

         それで 母さんには 理解を超えた事とは思ったが私が言った。

        「今の病気を悪化させない為に どこかのケア施設へ行く事になった。

         一つ目のところは行事(プログラム)内容は良かったが、そこに慣れさせる過程で

         母さんの現状と大勢の人を扱う施設側の一般的取り扱いと適合しなかった。

         二つ目の月曜日に行ったところは 母さんがどれだけ そこにいられるか

         見てみる事にした。『本人が耐えられないような事あれば、連絡する』と言う

         事になっていた。母さんがガラスのそばで一時間ぐらい待っていた事は施設の人も

         言っていた。それを 耐えられない状況と判断しなかった。で特に連絡も

         来なかった。だから迎えに行かなかったのだよ」と。

         もちろん 母さんに その話が理解できなくて、

         「だって電話がなかったもの」とか「殴りたければ殴ってもいいよ」とか

          私が言った事に対応しない事を 他にもいろいろ言っていた。

         母さんの行動のだいたいの予想はつくが、ケア施設にしても やってみなければ

         解らないと言う部分がある。やってみたところ、大分ダメージを与えたようだ。

         現段階では、「ご主人がもしかして病気になった事なども考えて」と言う意味も

         あるそうだが 今発生していない私の病気よりも先に 母さんが4日間も

         不満を言い続ける弊害の方が多くて、私の負担感を増やしたという結果になっている

         興奮状態が静まってきたら イスに座り込んで

        「もうダメだ、死にたい、死にたい、死にたい」と言いだした。

         私「大変だけど、死んだらあかん、今まで生きてきたのやから、楽しくすごす事や」

         母さん「閉じこめられて何にも楽しい事あらへん」

        ◎いつ ”無断外出”するも知れないし、一緒にやろうともしないので

         洗濯干しが出来なかった。母さんがいろいろ不満を言っていて、手抜きの朝食となった。

        ◎ここ一ヶ月を振り返ってみて ケアについての私の願望は 母さんが 人に触れ、

         なにか作業療法的な事をやる、何かの行事に参加する。1日でなくても

         2時間程度でも良い、結果として 私の時間が作り出せればよいが、

         それは慣れてからの問題であって さしあたり私の時間は主要な問題ではなかった。

          そう言う状態を”介護を必要としない”と看過する施設が一般的のようだ。

         そうでない施設もあるかも知れない。介護が世間的にも始まったばかりであるので

         適合する施設があるかも知れないが それはわからない。

         しかし まあ 特別の事故には 気を付けて なにごともやってみなければわからない

         と言う事だ。

         ということについては 昨日 ケアマネージャーにも言った。

        ◎今日は障害者訓練センターへ行く 予定日だったが 機嫌直しに外へ行っている

         あいだに時間が少し過ぎたのと、私の気分が盛り上がらず行くのを中止した。

        ◎現状では 母さんの気分の合わないところへ あちこち 行かせて 母さんの

         なかば見当はずれ なかば不可能な 不平を聞くより、

         今までのように おとなしく 私の廻りに うろついている事の方がよほど

         楽だ と言う事がわかった。

        ◎10時半から1時までドライブに連れて行った。そのあいだは機嫌が良かった。

        ◎戻ってきて 昼食を食べ、時間が少ししたら また

        「迎えに行ってやると言っておったのに来なかった」と言いだした。

         今度は優しく接していたが、過去の事実に変更は加えられないし

         「あのときは 母さんひとりで どれだけ耐えられるかようすをみておったのや

         だから 施設から電話があるまでは 迎えに行けなかったのや。」

        ◎午後2時40分、母さん ”無断外出”で外へ行った。

         二回出ていったが 二回とも5分ほどで戻ってきた。

        ◎しかし 全く別の観点から 人間を見てみるに こだわりを持つと言う事は

         意識が生きていると言う事だ、

         さらに別の観点からみると、こだわりを 社会整合的に表現することは

         人間社会を形成していく事にもつながる。

        ◎月曜日の事について、火曜日から今日の朝のうちまでは およそ事実に即して

         しゃべっていた。(母さんのわからないところで聞いた施設の人の状況報告と

         合っていた)午後3時頃からの 話の中で”創作話”加えられていた。

         「だれかがイスをがーんとひっくり返した」とか「こどもがなぐられておった」とか

        「赤ちゃんが泣いていたのでだっこしてあげた」とか言っていた。

         ”創作話”とわかっていて聞いていればとくに実害はないので そのまま聞いていた。

         ”迎えに来てくれなかった”話は 意外や私の抵抗にあって 矛先を変えたらしい。

         これが いいのか 悪いのか わからないが、流れとして、そのことがあろうと

         なかろうと 病気の 進行変化を示している。

        ◎夕方5時20分、またまた 「迎えに行ってやると言っておったのに来なかった。

         自分さえよければいいと思っているのやろ」と言いだした。

         月曜日の実験は 当初予想したように やはり 一定のこだわりと表現力を保持して

         いる現在の病気の進行度合いでは危険な 実験であった。

         信頼を回復し、平静な気分に戻るには かなりの日数がかかるものと予想される。

        ◎「死にたい 死にたい 死ねば気楽や」とも言っていた。

         私「死んだらあかん。生きている間に 楽しい事をいっぱいやっておくのや」

           

    2002.8.3(土) 晴れ

        ◎朝 食事準備とか 朝の作業をしている時、母さんは イスに座って待っていた。

         また 母さん「迎えに行ってやると言っていたけど来ーへなんだ」と言いだした。

         適当に「うんうん」と返事をしていたら 

         「忘れておったんやろ、どうしてわすれるの」と。

         −−母さんのことを忘れるはずもない−−

         そのうちに”無断外出”していった。忙しかったので

         付いていけなかった。行き先は としこさんのところ、自転車で迎えに行き

         帰りは 母さんが自転車に乗ってきた。

        ◎今日は生協の配達日。

        ◎10時45分ころ「死にたい 死にたい」とまた言った。

         「死んだらあかん、46億年このかた 一回しか生まれてこないのやから、

         ほんとに動けなくなるまで やりたいことや やろうとすることを し尽くして

         自然が、その生命を断つまで、待つことや」

           ◎「もうだめだ もうダメだ」と何回も繰り返しつぶやいていた。

        ◎今日もまた 花火があった。先週と同じ場所へ見に行った。花火は先週よりも

         豪華だった。

        ◎ 私「今日は何かあったかなー」

         母さん「知らん」

        −−今日も花火を見に行った事は 思い出さなかった。−−

        ◎−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
          ○○の M K様 お便り有難うございました。
          M K様 からのお便り(2002/7/30)
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        初めてお便りします。

        HP拝見しました。

        私は、**に住む31歳の主婦です。

        母は今年60歳、痴呆で病院にかかるようになって2年になります。

        HPを読ませていただいてると、母とだぶるところがあり、

        まだ、私も気持ちの上で受け止められていないところがあるだけに、

        涙、涙して読ませていただきました。

        父も上咽頭ガンで今は退院したものの、

        流動食の毎日です。

        父と母は**で暮らしているため、私とは離れています。

        母は若いころから、実家のために働いたり、家事をしたり・・・

        今は昔の話をよくするようになり、

        「会社終わってから、みんなでごはん食べに行こうって

        誘われても、あまり参加できなかったなー。お母さん(私からはおばあちゃん)

        具合悪かったやろ、早く帰らなあかんかってん」

        母も、私たち子供が家を出て、やっとこれから、

        父と二人余生を過ごそうとしてたところです。

        まだ、普通のころは、「年いったら、いろいろ旅行にいこうな」と

        父と話していたのが印象的です。

        母は自分がぼけたことを言ってると

        いうのがわかってて、「なんでこんな病気になったんやろ?」

        「これからどうなっていくのか怖い」

        「みんなに迷惑かける」

        「自分ではそう思わないけど、若いときになんか悪いことしたからバチが

         あたったんかなー」と泣きじゃくりながら話ます。

        母もなりたくてなった病気じゃない。

        なんでこんなに苦労してきた母が?

        一番苦しいのは母なんだ。

        私も離れているので、とても心配です。

        今は子供もいないので、まだ考えることができるし、

        行動もしやすい。でも子供が生まれたら、子供のことで大変になるかもしれない・・・

        「お母さんが元気やったら、みやちゃん(私)のところぐらい、一人でいける

         のになー。今は、お父さんについてきてもらわな、よう行けへんなー」

        今は母と父のことを大切に思う以上にこれからのことがとても不安で心配です。

        母の主治医の先生も環境を変えるのはよくない(引越しの意味で)といいます。

        でも**地方と**地方。もっと近所に住んでたら・・・と、

        とても私の家族を心配してくれる、私を大切に思ってくれてる主人と結婚して

        よかったのかと思う日々です。

        初めて母のように若くしてこの病気になった方々のお話が読めて

        少し落ち着きました。
        −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

    2002.8.4(日) 薄曇り 晴れ

        ◎今朝もまた 朝の作業をしていると 月曜のことで 怒り出した。

         母さん「迎えに行ってやると言っていたけど来ーへなんだ。なにやっておったの」

         私 「あそこの施設でどれだけ過ごす事が出来るか 様子を見ておったのや

           もし もうこれが限界 時になったら 施設の人が電話をくれる事に

           なっとったのや」

         母さん「私を殺す気やったのや」

         私「そんなあほなことあるか」

         ぷいっと 外へ出ていってしまった。

         10分ほどしたら「暑い暑い」と言って戻ってきた。

        ◎10時半ころ 喫茶「チボリ」へ連れていってやった。

         午後からも 暑かったが 空気が乾燥していて、風が涼しかった。

         母さん 午後からは ずーと機嫌が良かった。

         母さんが「カットしてやろうか」と言うので髪をカットしてシャンプーも

         もらった。(敷地面の中央60%〜70%が不毛地帯であるため

         周辺肥沃部分から 蔦がからむように不毛地帯へ誘導し地価を高めようと計って

         いる。)

        ◎ 私「今日は何かあったかなー」

         母さん「知らん」

         私が自分の髪をつまんで「カットしてくれたかー」と言うと

         母さん「うん うん 髪がすーと流れて さっぱりして気持ちいいやろ」

         私「シャンプーもしてくれたな」、母さん「うんうん したよ」

         

    2002.8.5(月) 晴れ

        ◎浜松医療センターへ診察に行った。新幹線に乗って旅行気分で出かけていった。

         MMSテスト(≒長谷川式テスト類似)は答えようとしなかった。

         先日の、ケア施設の時も 答えなかった。

         今の季節や 月日 今いる場所がわからないわけではない。家で私と必要があって

         話している時に それらの事を認知している。一週間ほど前、ある書類を記入

         する時、自分の名も 生年月日もきちんと書いた。

         「こんなばかばかしい事を 何で言わんならんの」と言う立場だ

         私「検査はダメかも知れません」と言うと

         係りの「先生」が気の落ち着くまで待っておられて、別の話をされてから

         再開したがダメだった。

         それが係りの「先生」が「新幹線は混んでいたでしょう」と言われると

         母さん「そんなことはなかった。がら空きやったよ」と言った。

         私が言い添えた。「9時までは混んでいますが 9時以降になると空いているようです」

         診断の時先生は「MMSテストも長谷川式テストも 目安であって それだけで

         状態が見れるわけではないから....」と言われた。

         そして 歩く時つまづく事はないか

             衣服の脱着

             風呂

             失禁はないか

             顔を毎朝洗うか

         などについて質問され、「お手玉をやってみて下さい」と出された。

         母さん「出来るよ」と言って10回ぐらいやると、「運動神経は 今のところ

         大丈夫です。足を弱らせないよう、心がけて下さい。散歩に、「散歩」

         と言わなくても 歩く工夫をして見て下さい。楽しい事をして生きてください」

        ◎先週の「月曜の話」は 帰ってきて ゆっくりしている時 ひとこと言ったが

         あとは 言わなかった。

        ◎ 私「今日はどこへ行ったかなー」

         母さん「新幹線に乗って 金子先生の所へ行った

        (受付の)上の方に 菖蒲の絵が貼ってあった。

         駅でレーメン(冷麺)を食べてきた」

            

    2002.8.6(火) 
        ◎今日は 早朝と言っても7時ごろ 岩戸公園まで行き散歩してきた。

         今日は 概して 機嫌が良かった。元の元気を回復したようだ。

         あるいは 母さんのいろいろな症状には 波があるが 元気で 朗らかな

         波の時期に入ったのかも知れない。

         午後になると 久しぶりに「どっかへ行こ どっかへ行こ」と言うので

         涼しい 迫間不動へ行って 景色を見て涼んで来た。

         ここ一ヶ月くらい「どっかへ行こ」と言わなかったので 「どっかへ行こ」

         の意欲もなくなったのか と思っていたが、健在だった。

        ◎先週の「月曜の話」「迎えに来てくれなかった。」ことは今日は言わなかった。

         ようやく治まった感じだ。この話になると 急に 論理的に追及してくるので

         あいまいな返事が出来ず、困っていたが....。


    2002.8.7(水) 晴れ

        ◎午前 M病院へ診察に行った。本日からは 同系列で

         同じ場所にある「S診療所」で診察を受ける事になり、そちらへ行った。

         たいそう待たされた。

        ◎「地獄へ堕ちてしまった」と言った。(何の事かわからなかったが、記録として記す。)

        ◎ ひるごろ 母さん「迎えに行ってやると言っていたけど来ーへなんだ。」

          と ひと言言った。

        ◎2時から苧ヶ瀬の池へ散歩に行った。

        ◎6時半 母さん 小声で 童謡を歌っていた。

        ◎私の 得意先で パソコンの器機を 買い換える事になって 新式の器機に

         旧プログラムでは 一部不整合のところがあり、改変することになった。

         営業雑用をさばいてから作業をやると、2日分の作業量だが、家事雑用、

         ”無断外出”もあったりして、一週間くらいかかるだろう。

        ◎ 私「今日はどこへ行ったかなー」

         母さん「知らん」

         私「M病院へ行かなかったかなー」

         母さん「行った 行った。」


    2002.8.8(木) 
        ◎9時30分、水道設備のT氏来訪。下水道について下相談をした。

        ◎10時40分 喫茶「チボリ」へ

        ◎1時30分、ヘルパーさんが来た。

         母さんの 考える機能が、健康な時と較べるとかなり低下してきていて、

         図画工作も目新しい事は出来なくなってきている

         水彩画が出来る程度で、切り絵 ちぎり絵 組みひも ビーズ編み 皮細工

         などは出来ない。

         なにごとも 30分ほどで飽きが来る。

         今日もヘルパーさんと 鉛筆画を描いていたようだったが、すぐ飽きが来て

         長続きしなかった。

         終わってから そっと「課題のようにすすめなくても良いですから、お話ししたり

         絵本を見たりして 守りをしてもらっていたらいいですから」と耳打ちした。

         明日は1日来てもらう事になっている。

           むつかしいことは、受動的なものと 能動的なものと いりまじって

         いることだ。難しい事は出来ないが、かと言って そんな簡単な事を

         人に指導されてやるのもいやだ という 気持ちをもっていると言う事だ。


    2002.8.9(金) 曇り

        ◎6時40分起床、今日は 母さんの「こわいこわい」を聞かなかった。

         母さんの就寝時間は夜10時とほぼ決まっていて、”事件”が無ければ

         明け方までよく寝る。5時半か6時頃「こわいこわい」と言う時は言う。

         だんだんその声が小さくなってきている。今朝は私が すっかり眠っていて

         母さんに顔をつつかれて起こされた。

        ◎このところ暑いので 朝の散歩をしていなかった。今日のような 日差しが弱いか

         曇りの日は、散歩に出ると良いのだが 急に思いついても出られない。

         朝の散歩をした方が、私が 朝の準備をしているあいだ、母さんが じーっと

         すわっている事が無くなるだろう。

        ◎母さん 美空ひばりの歌が好きだと健康なころから言っていた。

         すこし前に テープを買ってきて、車で掛けていると「あっ ひばりちゃんだ」

         と言って喜んで聞いている。

        ◎9時55分着で市障害者訓練センターへ行った。ヘルパーさんは 待っていてくれた。

         ピカチューの ぬいぐるみの お絵かき から始めたが 10時半頃 

         「気分不安定になった」とヘルパーさんから電話があり、私が行った。

         気分が治ったので、続きを見てもらっていて、私は駐車場で待っていた。

         案の定 すぐ電話があったので、本日のところは中止して帰ってきた。

         午後は、家で見てもらう事にした。

        ◎家では ピカチューの絵の続きを描いた。「美空ひばり」の本、猫の本、

         「花のある風景」の本、などを見て過ごした。あとは母さんがシャンプー

         してもらった。

         私は その間30分ほど 出かける用事を済ませ、40分くらい昼寝した。

         ヘルパーさんは3時30分までいた。

        ◎午後、ケアマネージャーと打ち合わせした。これまでの経過、病院での診断

         の事などを報告し、どの方向で進めるかを相談した。

          −−−試行錯誤を繰り返して あるべき道が 切り開かれていくものだ−−−(^_^)v


    2002.8.10(土) 薄曇り、晴れ

        ◎生協の配達日。夏休みに入ったせいか偶然にお客さんは我が家のみ。

         母さん「誰も来なかったねー」と

        ◎午前中、喫茶「チボリ」へ行った。

        ◎暑くて 母さんの食欲減。昼は そうめん 笹かま 種なしブルーン

         冷や奴、すもも

        ◎午後 またまた 苧ヶ瀬の池へ 母さん池の景色を見て、私は30分ほど昼寝

        ◎本日 母さんの気分良し。

         

    2002.8.11(日) 晴れ

        ◎日曜だが 娘は学校へ。

        ◎家事をすませ、物置ハウス設置について、知り合い業者と電話相談。

        ◎喫茶「ひらく」へ行って休憩。母さんは朝食の代わりを食べた。

         帰ってきて薬を飲んだ。薬は アリセプト コレステロールを下げる薬

         漢方薬(加味帰脾湯=ツムラ)を毎日飲んでいる。

        ◎母さんは 気ままにさせていれば 機嫌はよい。初期のころはそれで良かった。

         身の回りの事は、自分で進んでやるか、または ちょっと言えばやっていたから。

         このごろは 違ってきている。洗濯 掃除 食事の準備 後始末などは私が

         代わりにやってあげられる。歯磨き、衣服の交換、風呂などは 本人がその気に

         ならなければ、なかなか進まない。機嫌が悪くなってもやらなければならない事もある。

         健康人とくらべて 回数を減らしていても限度というものがある。

        ◎母さん最近は 娘が作った お手製のぬいぐるみの ねこをかわいがっている

         外出する時ももっていき、家にいるとき たまに ねこに話しかけているとき

         がある。まるで幼児に話しかけるように...。

         

    2002.8.12(月) 晴れ

        ◎7月から 月曜日は デイケアに行っていたが、施設で気分が不安定になって、

         黙りこくったり”暴力”をふるったりしたので、行く事を中止して、

         今月は家にいる事にした。

         家の母さんについて言うと「慣れ」が必要のだろう。

         7月一番あとに行った以後10日間ぐらい 「迎えに来なかった」とか

         「鍵を閉められた 牢屋みたいや」と言っていたが ようやく落ち着いてきて

         今は言わなくなった。

         今日は 仕事中、私のまわりにいて 好きに振る舞っている。私がしゃべれば

         普通に反応する。

         デイケアも1時間、または2時間程度なら良いかも知れないが、それ以上は 

         今のところダメかも知れない。

         施設に行っていたとき次のような事が起こった。

         ☆何らかの事情で 不安になってくる、

         ☆家へ帰ろうとする

         ☆それは阻まれる。(安全の為必要悪)

         ☆そのまま、抑えられた気分で じっと待ち続ける。(施設も人も「1時間ぐらい

         入り口近くにすわっていた」と言っていたし、本人も「1時間くらい待っていたけど

         迎えに来なかった」と言っていたので照応している)

         ☆実力で排除してでも 現場を脱出しようとする。

          と言う事で 送り迎えできる程度の近くで 短時間OKの所を探す。

        ◎ 水道設備のT氏が打ち合わせで来訪。20年以上の知り合いで、母さんも

         良く知っている人だ。母さん「あっ いらっしゃい」と挨拶した。

         話がすんで 帰ったあと 母さん「Tさん 頭が白くなったねー」

         私「白くなっても あるだけまだいいよ アハハッ」母さんも一緒に笑った。

         T氏のことをしっかり憶えていてくれたので、それもうれしかった。

          ◎私「今日は誰か来たかなー」

         母さん「知らん」

         私「Tさんが来たやろ」

         母さん「来た来た」

         私 わざと違ったことを言う「俺と同じようにはげておったなー」

         母さん「白かったけど 整っていたよ(はげていなかったと言いたいのだが

             いつもの癖で もし間違っているといけないので 整っていた と

             言葉を替えていった、)」

         −−−今日の記憶は確かだったようだ−−−


    2002.8.13(火) 晴れ

        ◎10時30分、喫茶「チボリ」へ。母さんが 朝食を食べないか または少ししか

         食べないので 朝 よく喫茶店へ行く。喫茶店のモーニングサービスはよく食べる。

           ◎母さん 久しぶりに「どっかへ行こ」と言うので 午後から 買い物に出た。

         雑貨品と スーパーへ

        ◎目に見える。看板や 自動車の側面の持ち主の商標などをしきりに読んでいた。

        ◎母さん「暑い 暑い」と言っていたが、空気が乾いていて、気分は快調。


    2002.8.14(水) 晴れ

        ◎ビンカンの日。

        ◎今日は 私が国立岐阜病院へ診察日。母さんは「付き添い」で一緒に行った。

         とくに自覚する異常は無し。

         「コレステロールが高め」「タバコの吸いすぎ」注意するように

         との事であった。

        ◎帰り際、喫茶「チボリ」へ寄ってきた。

        ◎3時 雑貨やへ行く。

        ◎5時 スーパーへ買い物、母さんが かごに入れた物は、原則として買う。

         先日は 「冷凍とうふ」というものをかごに入れたので買ってきたが 食べ方が

         わからない。昔からある こうや豆腐 とも違うようだし...。

        ◎昨年夏のこと、

         母さんが 5分置きぐらいにトイレに行った事があった。その状態が一週間ぐらい

         続いた。夜も 横になってはトイレに起き、また横になってはトイレに起き、

         12時過ぎまで繰り返し、疲れて眠った後も1時間または2時間置きにトイレに起きた。

         そのうち食欲も細くなった。原因が何かわからなかった。

         当時まだ店を開いていたので来客からアルツハイマー病の

         症状、である 大小便の粗相(失禁)について聞いて、不安感から神経的にそのように

         なったのかと思った。

          観察しているうちに、便秘になっているのではないか、と思い、本人に聞いたが

         忘れてしまうのでわからなかった。

         病院でも、原因はわからなかったが、「便秘の薬を下さい」ともらってきて飲ませた。

         次の日の朝 便通があった。5分おきのトイレが やや間隔が長くなった。

         その次の日になったら、5分おきのトイレには行かなくなった。

         食欲も出てきた。

          便秘になった原因は ばっちゃがこの病気に効くからと買ってくれた

         「ヤマブシタケ」の粉末によるものだった。説明書によると

          コップ一杯の水(200t)をいっしょに飲むようにと書いてあった。

         そんなに水を飲んではいなかった。これでは便秘になるだろうと思った。

         「ヤマブシタケ」がアルツハイマー病に効くとは思っていなかったが

         ばっちゃの顔を立てて飲んでいた。ばっちゃに「便秘になるからもう飲まないよ」

         「そんじゃ いかんな 飲までもいいよ」と言ったので、飲む事をやめた。

         便秘ぎみの傾向のある 母さんに気を付けている事は

         ☆ 良く運動する事。散歩も。

         ☆ 食べ物は 葉菜類(白菜、野沢菜、高菜)の漬け物を時折食べる

           牛乳を飲む

        などである。

           

    2002.8.15(木) 曇り

        ◎お盆で 通りは静かだった。

        ◎午前、いっしょにちょっと外出し帰ってくると、母さんがめずらしく「チボリへ行こ」

         と言った。何がめずらしいかというと 「どっかへ行こ」とは言うが具体的に行き先を

         明示して言った事はなかった。行く予定ではなかったけれど、連れていってやった。

         昨日の買い物のときも、そうだったが 特別変な物や高価なものでない限り買う事にしている

         言葉を失い、行動力を失っていく過程は 病気でない人と 同様である。

         常人において、言っている事に ことごとく反対されたり、行動を抑えられたりすれば

         物を言う気も失せ行動力も鈍るだろう。

         アルツハイマー病の人も、自分の要求を言うこと 日常的な物で欲しい物を買うこと、

         行きたいところへ行くことを 押さえつけられたり、日常の仕事で 

         危なっかしいからと言って 「やらなくてもいい」と言われたりすると

         言葉や行動力を失ってしまうだろう。

         長時間しゃべる相手がいなかったり、しゃべっても 外界の反応がなかったりすれば

         やはり言葉を失うだろう。

         表現された 要求や 行動の目的を 常識の範囲で極力実行 実現することが

         意識の現状維持を持続する道である。

        ◎午後から、母さんとお墓参りに行った。はじめ どこのお墓にお参りに行くのか

         わからないようだったが お墓まで行って その前に着いたら わかったらしく

         普通に動いていた。お花は行く道にある臨時花屋さんで買っていった。

        ◎ 私「今日はどこへ行ったかなー」

         母さん「知らん」

          私「チボリへ行ったかな」

         母さん「行った」

          私「お墓参りに行ったっけ」

         母さん「行ったよ」

          私 「お花はどうしたんだっけ」

         母さん「むこうで..道の端で買ったよ」


    2002.8.16(金) 晴れ

        ◎母さんが 健康なころは 8月に3日または4日の休日を設定していた。

         一般中小企業は13日から15日が多いが サービス業で 15日から または16日

         から3日 か 4日間休日を取っていた。私の仕事もそれに合わせて休日にしていた。

         で今年は、15日〜17日を休日にした。(18日は日曜で休み)

        ◎休日と言っても いつもと何も変わりはない。仕事の電話がかかってこないだけだ。

         私は「角川文庫」など読み 時を過ごしていた。母さんはじっと座って待っていた。

         時折、話しかけて、時折 二階へ行ったり 店に行ったりしていた。

         気ままにしていれば、母さん やさしくおとなしい。要らないけれど お茶を

         もってきてくれたりする。冗談言うと笑いもする。

         機嫌も悪くはなかった。(機嫌が悪くて黙っているのと 機会が無くて黙って

         いるのとは違う)

          おとなしければ おとなしいで心配な事がある。刺激が無くて、機能が退化しは

         しないだろうかと言うことだ。

          ☆そのこともあって 施設を活用しようとしたのだが、施設はその意味を理解

         出来なかった。私の時間を作り出す事だけが「介護」だと思っている。

          それで当分中止にした。

          ☆もうひとつは おとなしいの反対が 「良く動く」ことであるが、

           「どっかへ行こ」や「買い物」は普通の事だが

            ”無断外出”や「家へ帰る」といったり、施設で係りを殴ったりすることは

            普通の事ではない。

           普通でない事が 現れるのは、無理矢理 衣服を替えさせたり、風呂にはいらせ

           ようとしたり 行動を急かせたり 必要な事であっても意に添わぬ事を

           やらせると 2日〜3日は 普通でない行動が現れる 。

           このときは 頭がよく働いているときだが そのことが 世話している者にとっては

           大変緊張するときだ。

        ◎とにかくまあ 今日は 母さんは 機嫌良く過ごし 私も緊張する場面はなかった。

        ◎午後は 苧ヶ瀬の池 に行き ちょっと散歩し 景色を見てきた。

        ◎夕食後 娘に付き合って 母さんもいっしょに 大洞のミニストップへいった。


    2002.8.17(土) 晴れ

        ◎娘は 予備校生。今日のみ休日だという。朝から自分の部屋を

         かたづけていた。午後から近所の中学のころの同級生を 呼んで 遊んでいた。

         それぞれ大学生だ。3人来ていたが 2人は名古屋、あとの一人は東京。

         おしゃべり。ゲーム。まんがを読む。ことが 遊びの内容のようであった。

         いろいろ情報を交換しあっているらしい。

         娘は 母さんのアルツハイマー病について 特に言いふらしてもいないが隠して

         もいない。オープンである。近くの子だと 店を休業しているから なにかの

         病気だと言う事はわかるが アルツハイマー病と言っても 病気そのものについて

         の予備知識がないので 状況はわかっていないらしい。

         娘が中学3年のころから、母さんは病気になった。

         「母が そこにいるのに 標準的な意志疎通が出来ない」

         標準的な恩恵を受ける事が出来ない という体験を持つ事になった。

         私は「苦労は買ってでもせよ」と言う論には反対である。人類の文化の主要な

         継承は、暮らしの安定した中で行われる。だが「苦労」というものが、自分に

         襲ってきたとき かつ 枠組みの中では避けられないものであったとするならば、

         「苦労」さえも 積極的に生きる 素材として活用し 切り開いて生きよ。

         と娘に 諭している。

        ◎にぎわしい事の好きな 母さんは 「いらっしゃい」とか言って 歓迎していた。

         娘たちのしゃべり声がぼそぼそ聞こえてくるかと思うと 時折「わーっ」とか

         「きゃーっ」とか けたたましい笑い声が聞こえてきたりして 母さんは苦笑しつつも

         一日中 機嫌が良かった。

         従来 母さんと2人だけ居る時、「静かすぎる」とか「誰もいない」とか

         「みんなどっかへ行って閉まった。」とか「置いてけぼりをくってしまった」とか

         言う事があるが、今日は言わなかった。


    2002.8.18(日) 曇り

        ◎6時半 起床。ここ数日母さんの「こわいこわい」を聞かない。

         母さんの「こわいこわい」の声が 口の中で もごもご言っているせいかも

         知れないし、私がまだ眠っているせいかも知れない。

         曇りの涼しい日には 早朝散歩に連れて行くと良いのだが、朝仕事がはかどらず

         なかなか連れて行けない。病気発見後 1年経過したころは、良く散歩に行った。

         今の方が 散歩が必要な時かも知れないのに、なかなか行けていない。

         朝食準備や、洗濯ものを洗濯機にセットしている間、母さんはうろうろしていたり

         座っていたりしている。時間にせかされなければ、いっしょにやるといいのだが

         そうしていると、娘の学校や 私の”開店時間”間に合わなくなってしまう。

         もっとも今日は日曜だから 急ぐ必要はなかったのだが、流れが出来ていないと

         出来ない。

        ◎娘は 模擬テストで出ていった。

        ◎母さんは のんびりぶらぶらしていたが、とくに 機嫌が悪くなったり 緊張状態

         になることもなく過ごした。

        ◎3時ごろ 退屈そうだったので、スーパーへ買い物に行った。

        ◎夜は3人で本屋に行った。

          

    2002.8.19(月) 晴れ

        ◎住民基本ネットについて 市役所へ「私の分を取り消して欲しい」と電話をしたら

         「住民基本台帳の法律に基づいて行われますのでご要望には添いかねます」との返事

         だった。「ご返事に同意したわけではないが、市の言い分はお聞きしました」と答えた。

        ◎次に、介護保険の「更新」が8月31日なので 7月2日申出書を提出していた

         件について、保健課に尋ねたところ「8月26日に発送します」との事だった。

        ◎ケアマネージャーから電話があり、9月の介護計画について話し合った。

        ◎午前中は 母さんをつれて喫茶チボリへ、ながやさんがいた。

         以前には、私は 喫茶店にあまり行かなかったが、母さんがぼーっとしているし

         朝食がすすまない時があるし、時々連れて行っていたら 日課のようになってしまった。

         外に出て そこに知った人がいたりすると 生き生きしているので、ぼーっとしている

         よりは良いわ と思って 一緒に外に出て行っている。

        ◎午後 いつものように 苧ヶ瀬の池へドライブ 兼 散歩。

         池の周辺に 木が植えてあり、植樹 1・2年のためП型の支えがしてある。

         その支えの上に こどもの忘れものか小さな青い服のぬいぐるみが置いてあった

         のを何回か見た事があった。

         母さん「今日はないねー」と言った。私「えっ 何がないの」

         母さん「あそこに 青いぬいぐるみがあったがね」

         私「あっ ほんとだ 今日はないねー。きっと 落としていった

          こどもが 持ちに来たのやわー 」 

         母さん「そうかもね」

         いろいろな事は 忘れてしまうのに こういうことは おぼえているのだなーと思った。

        ◎そのあとは 一旦家に戻ってから、スーパーへ買い物に行った。

         

    2002.8.20(火) 晴れ

        ◎7時起床。

        ◎昨晩は 台風が来ると言うので 警戒していたが9時から10時にかけて、

         軽く風のみ吹いた。雨は降らず。朝 いつもと較べると風が涼しかった。

        ◎9時40分、喫茶「ひらく」へ。

        ◎母さんを 見つつ、事務所作業。

        ◎午後1時昼食。

         母さん 平静で話しかければ対応し 特別に 困る事なし。

        ◎午後2時 母さん「どっかへ行こ、どっかへ行こ」と 久しぶりに言うので

         金華山へ 行く。帰ってくるとすぐにまた 出かけるそぶりをするので

         苧ヶ瀬の池へ ドライブ兼散歩。母さんは 風景や 散歩する親子連れや

         犬の散歩、のらねこ などを見て楽しむ。私は 暫時休憩。

         帰宅は6時。

            ◎母さんは 小さい犬が好きだ。ねこにも関心がある。我が家で飼っているわけではない。

         散歩途中に 犬の散歩を見ると「あの ちょこちょこ がかわわいいんやて」と

         よろこぶ。ねこは飼い主なしで”散歩”している。こちらはかわいいとは言わないが

         「あっ ねこがいる」と言って教えてくれる。幼児には「おとぼけがかわいい」という。

          一年生の子にも「ぶかぶかのランドセルがかわいい」という。

         

    2002.8.21(水) 晴れ

        ◎母さん、岐阜県立病院へ診察。8時45分受付、9時終了。

         外の薬局で薬をもらって9時5分。早く終わったので 病院もそばの喫茶店

         ”ぶぜん”へ寄った。

         家へ帰ってから、どこが 値うちか とか パンがどうのこうのと話して

         いたら またチボリへ行くと言いだした。このところ 朝食をなかなか食べない

         ので どうかと思ったが 「行く」というので もう一度 喫茶店へ行った。

         チボリへ行ったて帰ってきたら また「どこかへ行く」と言った。まだ11時だ

        ◎母さんのズボンを買ってあげなければと思っていたところだったので 

         もう一度出かけていった。

         一つ目の衣料スーパーで 今はいているズボンと同型の 手頃なのを一緒に

         廻っていて見つけて レジの所まで行った。ところが お金を払う段になって

         商品は置いたまま レジから後すさりしていった。母さんに確かめたところ

         いま選んだものはいらない と言う事だったので レジの人に断って取り消した。

         いったん 家へ戻ってから

         もう一つ別の衣料スーパーへ行き、やはり選んで 今度は買ってきた。

         二つの違いは 布地の厚さ 感触 価格 に違いがあったようだ。

         その後は 新しいズボンをはき、今まではいていたものは洗濯した。

        ◎何回もいっしょに外出したが まだ 足りないようで「さあ 行くか」などというので

         本屋とか 苧ヶ瀬の池とか 夕方まで 廻っていた。

            ◎今日も暑かったが 空気は乾燥気味で 体感温度は 涼しかった。こういう日は

         うきうきしているようだ。そろそろボーリングへ行く日だなー。

         今日は元気が良くて あちこち連れていってやったが、承知ならば 特に困る

          ような事はなかった。

        ◎私「今日は何があったかなー」

         母さん「なんにも」

         私「このズボンどうしたの」

         母さん「買ってきたよ、ちょうど長さが良かったよ」


    hr> 2002.8.22(木) 晴れ

        ◎花屋へ行き ゆり と 菊を買ってきた。

        ◎1時30分〜3時30分まで ヘルパーさんが来た。

         ケアマネージャーとの話し合いで 私の要求を入れて

         当分の間(本人の意思表示行動が出来なくなるほどに病気が悪くなるまで){しかし

         そのような状態になった時には何かあっても 物が言えないので かわいそうで 

         結局預けないだろう}

         ヘルパー主体で自宅で 「見守り介護」を進める事になった。

         母さんは 今来てもらっているヘルパーのかたを好んでいるようだ。

         日数を増やすと言う事になると、ヘルパーがひとりでは、所用があった場合

         休めなくなるので もうひとり交代しつつ来てもらって1日の時間と、日数を

         増やしていく事にした。それで 本日現ヘルパーのお友達と言う事で 

         紹介的な意味で もうひとりのヘルパーが30分ほど 寄られた。

         母さんとヘルパーさんが 居るところは”店”の中。

         店は営業していた時のままになっている。知人でも来れば 仕事は出来るように

         なっている。セットイスを少しずらして、折り畳みの机とイスを持ち込んで

         お絵かきとか、お話とか 時には シャンプーをしてもらったりしている。

         待合いのイスも利用できる。

         体が不自由になれば、模様替えをしなければならないかも知れないが 今のところは

         模様替えをしない方が 気分が落ち着くと私が思ってそのまま活用している。

        ◎母さんは ここ数日は 機嫌が良いし ヘルパーさんは親しくなっているので

         ”無断外出”の心配もなかったので ヘルパーに任せて 一時間ほど家の中の

         整理をし、30分は 目覚まし時計を掛けて“昼寝”をした。

           ◎明日は市障害者訓練センターへ同行してもらう事になっている。



    2002.8.23(金) 曇り 5時ごろから雨

        ◎ 母さんの店の お客さんが来た。昨日 親しい知人から毛染めを頼まれて

          いたものだ。 としこさんもきて 午前中かかった。

        ◎午後母さんは ヘルパーさんと一緒に 市障害者訓練センターへ行った。

         しかし気分が落ち着かなかったか30分ほどで「疲れた」と言って出てきた

         それで自宅に帰り 軽食を取り 3時まで 見ていてもらった。

        ◎時間的には市障害者訓練センターへ行く前、1時から ちょっと離れた

         近所の家(組が別)のじいさんが亡くなられて葬式があった。

         地域自治会の役などやっておられて知っている人だったので、

         葬式に行った。時間のゆとりがなく普段着のまま、開式10分前に

         香典のみおいて 失礼してきた。くらしの ゆとりのなさが 

         こんなかたちで 現れてしまった。

         でも行かなかったよりは 普段着でも行った方が良かったのだろう。

        ◎このごろ たとえば トイレのロールペーパー(未使用)を持ってきて

         普通の顔と声で「これでいいやろう」なんて言って私に差し出す事がある。

         意味不明のことだ。

        ◎ 3時40分 退屈してきて しきりにどこかへ行くそぶりをするので

         苧ヶ瀬の池へドライブに行った。

        ◎夕方 私が 体がしんとくなってきたので イスにもたれていたら

         「えらいなら 寝やー」というので よこになっていたら 5分たたぬうちに起こされた。

         「医者へ行きやー すぐに治るから」

          私「医者に行かなくてもちょっと横になっていれば治るよ」

         こんなとき 黙って30分待っていてくれたら すぐに楽になるのに

         わからないと言う事は わからないことだ。と思った。

    2002.8.24(土) 曇り時々小雨 昼から薄曇り

        ◎朝「恐い恐い」を言っていた。

        ◎生協配達日。

        ◎朝寒いと言って ブラウスの上にもう一枚ブラウスを着た

         私が ブラウスは一枚にして、上に カーディガンを着るように言ったが

         替えようとしなかったので そのままにしておいた。

         当然昼ごろには 気温が上がってくる。今度は「暑い暑い」というので

         「一枚脱いだら」と言ったが脱がなかったので「そりゃ暑くてもしかたがないわ」

         と そのままにしておいた。

         服で 思い出した事は 昨日 ズボンを うしろ前反対にはいていた。

         これについては 2回ほど言ったら、すぐにトイレに行ってはきなおした。

        ◎昨夜 母さんが就寝したのが 12時過ぎだった。私にいろいろ雑用があって

         遅くなった為だ。朝起きるのは6時30分で いつもと変わらずだった。

         午後 湿度が多くなって、“不快指数”が上がった。その両方の為か

         「疲れた、疲れた えらい えらい」と言っていた。(※えらい=しんどい、

          気分が悪い、苦しい など)

        ◎それとは別に 以前にあった 吐き気を伴うような持ち悪さがあったようだ。

         「気持ち悪い。気持ち悪い」と言っていた。今回は便秘をしていないので

         原因不明。

        ◎にもかかわらず対人感情は安定していた。機嫌は悪くなかった。

         

    2002.8.25(日) 晴れ

        ◎7時起床。

         日曜だが 娘は塾へ。

        ◎午前中。喫茶チボリへ。”ながやさん”は居なかった。

         母さんは外へ出る気まんまんだったが、雑用があって出られず。

         2時頃「暑い 暑い」と言うので 車にクーラーをかけて30分ほど

         一緒に休憩していた。駐車場は午後から日影になるので クーラーは

         適当に効いていた。

         「お腹が空いた」というので3時に「小昼」=こびる そうめんを食べた。

        ◎夕食後 南方面、木曽川で花火をやっていたので 見に行った。小規模だったが

         近くで観たので大きく見えた。コンビニでおやつを買っていき、食べながら

         車の中で観ていた。周囲にも 車の中で見ている人がいた。

         帰ってきて家へ入ったすぐ後に 私が「今日は花火を見てきたね、

         大きかったね、下の方の ぼこぼことたくさん出てきたのも見えたね」

         と言うと母さんは「うんうん」と返事をしていたが、1時間後にもう一度

         聞いた時には、もう憶えていなかった。

        ◎食器洗い。

         母さん このごろ(ここ1ヶ月)食器がうまく洗えなくなってきている。

         このごろでは、食事の後かたずけの食器洗いをしなくなってきているが

         気が向いた時は 洗ってくれている。

         食器洗いの 我が家の暗黙のパターンは

         1,残り物や 種、骨、皮などかあれば捨てる

         2,軽く水に流す

         3,漬け物載せた程度の物は手で洗い水に流す

         4,それ以外の物は スポンジたわしに洗剤を垂らして 皿を洗う

         5,よく水に流して、かごにのせて乾燥しておく

         事にしている

         ところがこのごろどの食器も水を流し手洗いするだけで 4、のスポンジ

         たわしで洗う事をしなくなった。そしてかごにのせないで いきなり

         食器棚に濡れたまま入れてしまう事がある。

        ◎『美味しんぼ』69巻・作・雁屋 哲 画 花咲アキラ

         204ページ(最終ページ)

         場面=新聞社 編集部 料理コラムの担係りの企画会議。読者も参加しているらしい。

         次回の料理記事の企画から、読者の家庭に論が及び

         A子「一番まずい家庭はお互いに冷淡な家庭だ」(途中略)

         B夫「相手を深く知るにはケンカが必要だ」(途中略)

         C子「そうか互いに冷たく無関心な家庭は崩壊する」

         B夫「だから...仲よくしろと説くより我をぶつけ合ってみる

            ことをすすめてみたらどうだ。」

         D子「...逆説的だけど面白いわ」

         D子が“副部長”なる人物に言う「...奥さんの作った味噌汁に文句を

            いうところから始めたら」

         副部長「味噌汁は 私が毎朝作る。奥さんが少しでも気に入らないと

             言ったら全部作り直す。だからケンカにはならない。」

         ○○「幸せな ご家庭ですね...」

         副部長「そうさやさしい妻なんだ....台所で私が洗いものをして

             いるときは、邪魔にならないように テレビ観ながら 

             梅酒飲んで、待ってくれるんだよ」

         −−−(途中省略あり)『美味しんぼ』の場面はここまで−−−

         多数の人が認める価値観を“常識”と言う。

         少人数の集合が認める価値観を“黙契”と言う。

         “副部長”の家庭の黙契は 私の家庭の黙契である。作者の人間に対する読みは深い。

         

    2002.8.26(月) 晴れ

        ◎母さんの お客さん 来店。としこさんも来て対応。2時間ほどして

         そのお客さんもとしこさんも帰られた。

         正午ごろ 近所の婆さんが

         「ちょっと切ったもらえんかね」と来られた。私は今の母さんが 出来るかどうか

         一瞬迷ったが こちらの部屋で「どうする」と聞くと「やらなあかんやろ」と言い

         店に出た。私も店へついて出た。婆さん「忙しいところ悪いねー」と。

         手順どうりクロスをかけて、霧吹きをかけて、ブラシをし作業を始めた。

         婆さんが 世間話など始めると 母さん お客さん用のハイトーンの声で

         それほどずれない返事や合いの手を入れていた。

         −−−その婆さんにとっては 何人目かの3歳になる孫が 昨日遊びに来て 

         入れ歯をはずした婆さんの顔を見て

         「ばあちゃん 歯はどうしたの」と言うのやよ−−−

         と言う話に 対応していた。カットの結果は 私がそれとなく観察したが

         特に変なところもなく、目的は達せられたようだ。

         別に「疲れた疲れた」とも言わなかった。

        ◎1時頃 昼食、午後 日用品の買い物に出た。必要な小間物を買ったが

         母さんが 店の中の商品を見て歩くのが好きなので、ぐるぐる回ってみて歩いた

        ◎続きに 苧ヶ瀬の池で散歩。

            

    2002.8.27(火)晴れ

        ◎車で 家族3人 乗鞍へ行った。来年から乗鞍は自家用車乗り入れ禁止になるので

         今年が最後。毎年夏に 乗鞍へ行っていた。ここ数年 行き合わせた時はいつでも

         霧がかかっていて、風景は見えず、道路は先行車のテールランプを頼りに

         動く有様だった。今年は霧が全くなく、まわりの風景が美しく見えた。

         行きは高山方面から上り 帰りは安曇野の方へ下りて戻ってきた。

        ◎母さん 帰ってきた時は、乗鞍へ行ってきた事を憶えていた。

         霧がなくてよく景色が見えた事。

         帰り道、暗くなったので こわかった事。など

          

    2002.8.28(水)晴れ 曇り

        ◎ 娘 無理がたたって風邪。1日休む。3時から医者へ。

        ◎ 介護保険の更新 保険証届く。介護度3。今回から期限が1年になって

          次回更新は 来年8月。

        ◎ ケアマネージャー来訪。9月度について相談。

          地域の つたえ話(伝説)を集めた本を貸してくれた。

          自然の岩や滝、川、山、池にまつわる話、地蔵さん、神社 お寺の由来

          についての昔話など。

          解説によると昔話を古老から聞き出してまとめ、本にしたもので

          もともとは五巻だったもののなかから 二十五話を選び出したもの

          私にとっては、面白そうな本だ。

        ◎ 昨日 乗鞍へ行った事を憶えていなかった。それに限らずほとんど憶えていない

          事が多い。「いろいろやっても憶えていないなら 何もしなくて良いか」

          と言うと 私は「そうではない」と思っていろいろやっている。

          8.19(月)のこの日記の記事

          「こどもの忘れものか小さな青い服のぬいぐるみ」のように 

          何回も見ている場合は 憶えている事もある。

          ☆憶えていても いなくても 日々楽しくなければならない

          ☆何もしないと、「憶えている事を 口で言う」と言う機能以外の機能が

          例えば 人にあった時に会釈する機能、歩くとか 自転車に乗るとかの機能

          が 退化してしまうのではないかと思う。

            という理由によって、いろいろやっている。

            、

    2002.8.29(木) 晴れ

        ◎11時から 岩戸森林公園で一周散歩。日影部分がかなりあるので、

         昼中でも散歩可能。

        ◎1時30分、から3時30分までヘルパーさん来る。

         楽しそうに いろいろおしゃべりをしていた。

         母さんと遊んでもらっている間、30分間、目覚ましかけて昼寝。

        ◎4時から6時まで 坂祝方面へドライブ。

        ◎2枚もブラウスを着て「暑い 暑い」とは言ったが、1日中機嫌良し。

          ◎ついに 歯磨き をすることが出来なくなった。

         このところ寝る前に私が言っても返事だけはして磨かない事があった。

         数日前「さあ 歯磨きをして寝ようか」と言うとその時は磨いた。

         昨日は磨かなかったようだったので、今日は磨かなければならないと思った。

         10時35分「さあ歯を磨いて寝ようか」と言うと返事をして 皿を洗い始めた。

         皿を洗ってから磨くのかな と思ってそのままにしておいたら 

         歯磨きに触れようともせず イスに掛けた。忘れてしまったのかな と

         ブラシを手にとってあげた。それを食卓の上にあった空き皿の上に置き

         そのままにしていた。しばし待ってから私が歯ブラシを取り「磨けないなら

         磨いてあげるから口を開けてごらん」というと「磨けるよ」といった。

         「じゃー待ってるから磨いて」と言って待っていた。

         いっこうに磨き始めないので「じゃ 磨こうか」と言うと ブラシを

         キッチンペーパーに包んでぐるぐる巻いて その上から ブラシを濡らす時のように

         水道水をかけて ブラシ置き場においた。今まで見かけた事のない意味不明の動作だ

         「こんなことしては 歯が磨けないがね」と私がそのキッチンペーパーを取り去り

         「さあ磨こうか」と差し出した。母さんは またブラシを机の上に置いた。

         その後 様子を見ながら数回 働きかけをした。でも磨かなかったので

         10時50分「今日はもう二階へ行こうか」と言うと ブラシを置き場に

         戻して 物も言わずついてきた。

         この場面では いつもは 何かしら 冗談を言ったりするのだが 今日は何も言わず

         横になり 向こうを向いて寝てしまった。

         それで「きょうはついに歯磨きをしなかったな」と言ったが 返事も反応もしなかった。

         それくらい大事な事だ と言う事を 感性的にでも感じてくれれば段階を経た後

         私が歯磨きをしてあげる事に同意するだろう。

            ◎乗鞍へ行ったことで 「憶えていた」と書き 次に「憶えていなかった」と

         書いたのは、当日帰宅後10分以内の時には「憶えていた」が

         次の日には「憶えていなかった」という意味です。

        ◎母さんの 人に接する態度

         ☆娘と話す時......優位に立って話す。話題の方位30%(仮定)

         ☆私と話す時......病気以前は対等に話していたが、病気後一年くらいから

                     下位の立場で話す事が多い。話題の方位100%(仮定)

         ☆お客さんと接する時..距離を置きハイトーンの声で話す。話題の方位10%(仮定)

         ☆としこさんと話す時..対等で ロートーンで話す。話題の方位60%(仮定)

         ☆ヘルパーさんと話す時.友だち感覚で話す。トーンはいろいろ。話題の方位50%(仮定)

         ☆家の外で近所の人と..笑顔で挨拶しその時の状況でお天気の事。話題の方位5%(仮定)


    2002.8.30(金) 晴れ

        ◎午前中。喫茶チボリへ。”ながやさん”は今日はいた。

        ◎その後 午前中 銀行等へ、支払いその他の用件で外出、いっしょに行った。

        ◎午後はヘルパーさんと一緒に、市障害者訓練センターへ。

         いつも途中で「帰る 帰る」と言うので、今日は我が家からヘルパーさんも

         一緒の車に乗って行き、絵を描いてきた。今日は終了まで「帰る」と言わなかった。

         だんだんヘルパーさんや会場の雰囲気にも慣れてきたようだ。

         終わったので一緒に帰ってきた。

        ◎ブラウスの事

         朝のうち、涼しかったので、ブラウスを2枚着ていた。ブラウスの重ね着も

         問題ではあるが それはさておき、昼頃には「暑い暑い」の連発。

         「一枚脱ぎなよ」と言ってもなかなか脱がなかったがヘルパーさんが

         口添えしてくれて 2枚とも脱ぎ 新しい(洗濯してあるの意味)ブラウスに

         代えた。やれやれ。

        ◎そのあと 家にもうひとりのヘルパーさんが待っていてくれて 紹介を受けた。

         木・金は現在のヘルパーさんで、火に新しいヘルパーさんが来てくれる事になり

         紹介を受けたわけだ。

          

    2002.8.31(土) 晴れのち曇り夕方雨

        ◎生協配送日。

        ◎母さん いつもなかなか朝食を食べようとしないので、朝食はそのままにして

         10時ごろ、厚焼き食パン、レタスときゅうりとハムのサラダ、梨、ミニトマト

         半生乾燥プルーン、野沢菜漬 ぶどう まるまるフランクと牛乳1本

         喫茶店のモーニングサービスと同じようなものを作って、

        「さあ モーニングだよ」と言って出したら、全部食べてしまった。

         種類は多いが 冷蔵庫にある物を 少量ずつ出しただけ。

        ◎読書

        「アルツハイマー病の妻とともに」...アルフレッド フールマン(ドイツ)

         .......那須弘之=訳   医学書院    1854円

         ☆妻 音楽学校の教師。夫 養護学校の教師 のちに校長。

         ☆1974年妻(52歳)物忘れあり

         ☆1990年4月3日(68歳)他界

          症状が現れた初期のころ 当時のドイツにおいてアルツハイマー病についての

          認識は、周辺の人はもちろん かかっていた医師(複数)のあいだでも

          低かった。妻と共に生きた記録。

         −−−私の感想は そのうちに...−−−

         内容こことではないが、この本は市立図書館から借りてきた本だが

         57Pと58Pを構成する1枚分が破り取られたあった。

         病気中期の 患者の行動と対応のところである。

         これを破り取られたかた、図書館の本を破らないでいただきたい。

         必要ならば図書館は廉価でコピーを取ってくれます。

        ◎特別気分が不安定になる事もなかった。


    2002.9.1(日) 晴れ

        ◎防災の日、町内で訓練があったが欠席した。

        ◎午前 としこさんの主人のパソコンのインターネットの接続設定の変更を

         やりに行った。母さんもいっしょに行った。設定は特別難しい事ではないが

         顔見と言う事もある。

        ◎その後は としこさんと主人が我が家へ来て、調髪とセットに来た。

         その間 母さんが店で“遊んで”いる間に洗濯等雑用をすませた。

        ◎絵を描く機能の低下

         去年月12までは、リハビリとして週1回または2回絵を描いていた。

         そのころまでは花やぬいぐるみの人形や動物を 結構リアルに描いていた。

         そのうち描けなくなってきて 「あの先生はあかん」とか何とか言って

         3回途中から出てきてしまった。それでも描きかけのデッサンはリアルで

         あった。うまく描けなくなってきたのだろうと私が思って中止した。

         それでもたまに家で描いていた。

         このごろでは、ヘルパーさんと一緒に描いたり、市訓練センターで

         描いたりしている。例えば ぬいぐるみの絵は 以前は 忠実に勝ていた物が

         左右一本につながった眉毛を描いたり(本当は眉毛は無い)目の大きさ、形

         がモデルと対応していない。過去には対応した絵を描いていた。

         ”これはそう言う絵だ”と言えば 絵としては問題はない。

         過去に 実物に即したデッサンを描いていた 母さんの 病気との関係で

         言うと、忠実に写し取れなくなったと言う機能の低下が見られる。

         私が「おーっ いいやない」とか「かわいく描けたね」と言うと

         自分でもデッサンがモデル通りでない事がわかるのか「ちょっと変」とか

         「変になってしまった」と言う。

         病気の進行の複雑な途中経過にある事が伺える。

         ☆「物を描く」と言う事では忠実に描くつもりで描いた。

          他方ではそれを見る目は健在で、批判的に見て「ちょっと変」

          と言う事になってしまっているのだと思う。

        ◎ 夕方は娘の運転で「ドライブ」と言う散歩に行った。


    2002.9.2(月)晴れ

        −−◎6時30分起床。ここ10日ばかりは「恐い恐い」を聞かない。

         朝方は涼しくなって、よく寝ているようだ。

        −−◎喫茶 チボリへ行ってきた。母さんは窓側の池の見える席がお気に入りだ。

        −−◎その後 洗濯干しや室内の整理をした。

        −−◎ヘルパーさんと電話で今週の日程の中の内容について相談した。

         家事の手伝いは、全く必要でないので、もっぱら母さんの見守り

         をしてもらう事にした。

        −−◎夕食後、娘の運転で本屋さんめぐりをした。約2時間

        −−◎「外界の刺激」には「ゆかいな刺激」「不愉快な刺激」がある。

         愉快な刺激が連続する時は、気分が安定している。不愉快な刺激が連続すると

         “無断外出”や、一時的な無反応状態、実力行使、夜中に起きるなどの事が

         起こる。

         

    2002.9.3(火) 晴れ 

        −−◎6時30分起床。

         朝の仕事いろいろ。

         母さんおとなしく待っている。涼しい内に散歩でも行くと良いのだが、なかなか

         行けない。

        −−◎喫茶チボリへ行った。東側に池がある。午前中は日差しがあるのでブラインド

         が閉じてある。母さんはブラインドの下の方だけ開けて、鯉がゆっくり泳いでいる

         のを眺めている。鯉は大きい青っぽい黒、赤、金色、肌色ぽい白、赤と白のまだら

         がいる。鯉は池の中で廻ってきては何回も通り過ぎる。大きい黒の鯉が通過すると

         母さん「来たよ来たよ」と言う。私「おーっ来たね、ぬし(主)やなー」と言う。

         母さん「うん ぬしや」と言ってそこで満足そうに笑う。そしてその鯉が通過する

         たびに その会話が何回と無く繰り返される。

          −−◎今週から火曜日もヘルパーさんに来てもらう。今日は先週ちょっと顔出しされた

           −K−さんという方だ。やってもらう事は「見守り」で 母さんのやりたい事に

           即して 相手をしてもらい、合間合間に 洗髪とか着替えとかする。

           今日のところは1時から3時までだったが 状況を見て長時間にしていく

           事にした。

           今日はやる事がないと行けないので、母さんの昔のアルバムと、この2年間に

           描いた絵を出しておいて、母さんに説明の お話をさせるように段取りをして

           おいた。

            ☆−K−さんの連絡メモ

           「初めて一人で訪問しました。美容室の中をいろいろ案内してくださり、

            器具の使い方を教えてくださいました。写真や絵を見せていただき

            楽しい時間を過ごせたと思います。」

          ◎ヘルパーさんは −M−さんと−K−さんが 交代できてくれる事になった。

           どちらも よく経験を積み重ねた人と見られる。

           というのは 母さんは両方とも“仲良し”になったからだ。

           ヘルパーさんが帰りがけに「またきていい?」と言われると

           母さん「いつでもどうぞ」と言っていた。

        −−◎このごろの 母さんの仕事の一つ。☆生協の袋の回覧を持っていく。

         生協の注文は 注文電卓 に打ち込んで 注文する。打ち込んだら次の会員宅

         へ回覧板形式で廻す。カタログや電卓が「生協の袋」の中にはいっている。

         注文はすべて私が打ち込む 娘が 自分の好きな物を追加して打ち込む事もある。

         以前には 母さんが主役で打ち込んでいたが、病気2年経過(現在この8月で

         満4年経過、5年目にはいった。)ごろから、商品は「これはどう?」とか言うが

         自分で打ち込みできなくなった。

         母さんの仕事は、この「生協の袋」を次の会員宅へ持っていくことだ。

         そこは前の通りを 向こう側へ渡り、少し行った牛乳屋さんだ。いつも車の少ない

         時間を見計らって、「生協の袋をもって行ってよ」と頼むと、「うっん」と言って

         持っていく。


    2002.9.4(水) 晴れ

        −−◎7時起床。

        −−◎ M病院(すこやか診療所)へ診察に、頭以外は 異常なし。

           診察は10時20分ころすんだので、病院の近くの喫茶店「ボヌール」

           へ寄ってきた。

        −−◎昼は1時頃 そうめんと副菜。母さんの食欲 8月はじめと較べると

           やや前進か。

        −−◎4時まで仕事、母さんは周辺でうろうろ。機嫌は良かった。

        −−◎娘、卒業した高校の文化祭を元同級生の友だちと見に行って、暑い中を歩き

           軽い“熱中症”夕方涼しくして 寝ていて 回復した模様。

           元ホームルーム担任の“おくやん”と言う先生もいて、会ってきたそうだ。

           締め付け進学校の中では、文化的広がりを持ったいい先生のようだった。

        −−◎頭痛の事

         アルツハイマー病と関係あるか 無いか わからないが

         母さんは 私の知る20数年前から時たま頭痛がしていた。

         発病2年前程から、より頻繁に頭痛がしていた。(一週間に1回以上はあり

         その日の内に治る時と2・3日続く時があった。)

         母さんは「風邪のせいだ」と言って、風邪薬を飲んでいた。風邪薬は病院の薬も

         あったし、市販の薬もあった。ジキニンという小児用風邪薬も飲んでいた。

         そしてまた 何故かわからぬことだが 病気1年経過ごろから頭痛を訴える

         事が無くなった。ここ3年は頭痛は年に1回ぐらいしかない。(メモとして残す)


    2002.9.5(木) 曇り

        −−◎昨晩 母さん イスに掛けて居眠りをしていたので少し早めの9時に

           寝させた。

           今朝は5時に 私の顔をつっいたり、タオルをぶっけたりして 

           起こそうとした。なかなか私が起きなかったので 機嫌が悪かった。

           その後すぐに、私は起きたが 機嫌の悪いのは 治らなかった。

           早かったが、起きてしまったので“朝の仕事”をして、6時。

           7時までには1時間あるので、久しぶりに朝方涼しい内にと田圃方面へ

           散歩に行った。稲穂がすっかり出そろい、しかしまだ垂直で

           白い小さな花を付けており 花粉を飛ばしている時期かなーと観察した

           散歩に行ったら、母さんの機嫌は治って、その後は普通だった。

        −−◎9時30分、喫茶チボリへ。

        −−◎今日は 私の運転免許証の更新手続きに行く予定日だった。

           木曜はヘルパーさんに来てもらう日だが、「更新」が行き帰りも考える

           と2時間では終わらない。それで前回来てもらった時に、12時から

           4時までの予定できてもらうように頼んでおいた。

           時間は延長しても差し支えなかったが、母さんが我が家で4時間

           じっとしておられるやろか心配になった。

           それで、ヘルパーさんも一緒に 運転者講習センターに来てもらう事

           になった。

           早めに昼食をすませて待っていると、12時より10分ほど前に、

           いつもの −M−さんと −S−さんという新しい人と2人

           来てくれた。「たくさん顔見知りを作っておいた方が、もし一人が

           来られない時でも変わりに来れるから...」と言う事だった。

           会場へは 受付開始時刻よりも前に着いた。「中で見物してもらったり、

           外を散歩してくださっても良いし、近くの喫茶店へ行ってもらっても良いし...

           終わるまでお願いします」と言って受付に行った。

           手続き、検査、講習で1時から3時30分までかかった。

           後で聞いたら、1時間ぐらいたったら 私を「どこへいった」と捜していた

           と言うことだった。「帰る帰る」とも言ったそうだ。中で雑誌を見たり、

           中でぶらぶら歩いて、掲示物を見たり、外の喫茶店へも連れて行って

           もらったそうだ。

           無事免許の更新は出来た。

         

    2002.9.6(金)曇りのち雨

        −−◎午後 市訓練センターへ ヘルパーさんと一緒に行ったが、

           部屋の入り口前まで行ったが 廊下にとどまって、中へ入ろうとしなかった。

           部屋の中から 仲間の人が「やすこさん お出でよ」と言ってくれたが

           入ろうとしなかった。

           それで家へ帰って、シャンプーをしてもらったりして過ごした。

        −−◎その前 市訓練センターへ行く前に ブラウスを替えようとして

           「ブラウス替えようよ」と言い、替えようとしなかったので ちょっと

            無理に言ったら、怒って ぶぃっ と外へ出ていってしまった。

            数十メートル付いて行ったが 帰ってくる事は間違いないので、

            私は戻ってきた。続きをヘルパーさんが付いて行ってくれたが、

            やはり すぐ戻ってきた。戻ってきた時にはもう 何を怒って出て

            行ったか忘れてしまっていたようだったが...。

            ところで シャンプーをしてもらう時、ブラウスの襟から肩の当たり

            にかけて 少し水がかかって濡れてしまった。

            「風邪引くといかんで替えやー」ブラウスを替えてあげた。

            引っかかりなくすぐに、ブラウスを替えた。

               

    2002.9.7(土)曇りのち晴れ

        −−◎このところ曇りや雨 時々晴れ間もあるが 少し涼しくなってきている。

        −−◎昨晩の事、7時30分に 知り合いの個人のお客さんのところへ 

          インターネットの接続設定を 頼まれて作業に行った。

           夜のドライブと散歩のつもりで“社員一同”3人で行った。仕事は1時間

          ほどかかった。作業は無事終了したが その間の出来事。

          母さんと娘は 傍らのソファーにかけて待っていてくれた。娘は時々立って

          IDとかPWを細かい書類の中から読み上げてくれた。

          母さん 知り合いの家で ゆったりとしたソファーに掛けて安心したのか

          居眠りをしてちょっとの間 眠ってしまった。

          作業中は相手の家族は別室にいてそこには誰もいなかった。

          母さんは夢を見ていたらしく寝言で「ふんふん ふんふん うん」

          とうなずいて ニコニコ笑顔で寝ていた。そのあとももずーと笑顔で

          寝ていた。

        −−◎本日 生協の配送日

        −−◎朝方涼しかったので 母さん黒の上着を着た。それをそのまま午後になって

          も着ていたので「暑い暑い」の連発。何回か「上着は朝だけにしてもう脱いだら」

          と言ったが脱がなかったのでそのままにしておいた。趣味の“暑い暑い”だね

           などと言いながら...

        −−◎午前11時30分から午後1時にかけて金華山をひとまわりしてきた。

        −−◎帰ってきた時 母さんが言った。「もうみんな帰って行ってしまったか

          なんかおおぜいおったがね」と。何の事かわからなかったが

          “おおぜい”人がいた と言うイメージが浮かび上がっていたらしい。

        −−◎4時〜6時、苧ヶ瀬の池 散歩。

           車に乗って 看板や案内標識を読むのは続いている。先日はヘルパーさんと

           一緒に乗って「目がいいねー」とほめられた。

           帰りの道中で みとお婆さんの話をしていた。お天気の事について

           「みとおさんは 何でも良く知っている。それが全部当たるんやて」

           私「年の功で いつも天気を見ているからね」

           母さん 「うんうんそうや」

          

    2002.9.8(日)晴れ

        −−◎娘は10時に間に合うように塾へ行った。

        −−◎私と母さんは その後喫茶店チボリへ、(あいかわらず池の鯉を見て楽しむ)

           11時30分に戻り、 薬を飲ませ(アリセプト、コレステロールを下げる薬、

           漢方薬の3種)脱水まですませておいた洗濯を干す。

           髭など剃って身支度。

        −−◎夕方 スーパーへ行き、買い物。

        −−◎失せ物−洗濯ネット

           我が家では洗濯物を数枚ずつネットに入れて、3袋ほどになる 洗濯物を

           洗濯機の中に入れる。(どこでも同じかも知れないが)

           我が家では深夜に洗濯をする事も、頻繁にある。−隣家は数メートル離れた

           鉄筋ビルで 後の3面は道路で主要道路は深夜でも車がどんどん通り

           洗濯騒音の心配がないからだ。−

           朝食後ころになって 深夜の洗濯を 旧型洗濯機では 脱水に移して

           脱水して干す。その際朝着替えた物を洗濯機に入れ脱水と洗濯を

           同時進行ると能率的なので洗濯ネットは予備に後3袋ある。

           ところが予備の洗濯ネットを 母さんが時々かたづけてしまい

           所在がわからなくて イライラすることがある。

           別に 悪気があるわけでないし、本人はまじめに仕事を分担している

           つもりだが 置き場所一定にする事が出来ないだけである。

           こんな時、さわらないでじっとしていてくれた方がいいと思う。

           もし「手を出さないで」と叱責するように言えば、手は出さないだろう。

           今後何もしないかも知れない。でもそれでは 病気を促進するような

           気がして、そのままにしている。それで いろいろな物が定位置にない

           事があって、いつも私は 位置修正係である。

           その例示物。台所の鋏、洗濯ネット、各部屋のゴミかご、

           家庭用タオルと見せようタオルの混在、洗った食器の置き場所、

           本や雑誌のその他いろいろな物が 定位置から離れたり、陰に隠れて

           失せ物になっている事たびたび。

        −−◎プライドが高い。気位(きぐらい)が高い。

           病気がもっと軽かったころ、仕事の事で指図されたり、ちょっとした

           失敗で 注意されたりすると、「むっ」と怒る事があった。

           すると「プライドが高いであかんわ。」と言われたりする事があった。

           いまでも、着替えや 風呂の事を言われたりすると「自分でやるからいいわ」

           と 気分を悪くする。このことは 本人の為を思って、手伝ってやろうと

           する側にとっては不都合な事である。不都合だからと言って あるいは

           行く末は何も出来なくなるのだからと言って、

           「恥も外聞も捨てて 言うとおりにしなさい」と言ってしまってよいものか

           疑問に思う。


    2002.9.9(月) 晴れ

        −−◎下水道工事やさんに電話。介護の為の室内改造をするにしても、あとから

          下水工事で床を掘り起こす事になっても大変なので、床下から先に進める

          ことにした。

        −−◎ケアマネージャーに電話をして、ヘルパーさんの訪問時間を増やしても

          らうよう話した。

          詳しくは木曜日に相談する事にした。

        −−◎朝の雑用をすませ、喫茶チボリへ行った。母さんがチボリへ行く事を楽しみ

          にしていて 当然行くつもりでそわそわしているので仕方がない。

            −−◎得意先等、所用で母さんと一緒に1時間ほど外回り、

        −−◎昼食は1時30分だったが、喫茶店で「モーニングサービス」の軽食を

          食べているので、不自然な時間ではない。

        −−◎2時まで休憩。母さんもイスに掛けて休憩。

        −−◎苧ヶ瀬の池散歩。帰り道 いつもはあまり行かないスーパーに行って

           買い物。

        −−−−−
          −−◎母さんの一日−−−

           ☆行動能力について。

           ある行為の 開始 行動 完結 が ある時出来ない事があって 次回には

           また出来る時もあるが、しだいに回を重ねるごとに出来なくなっていく。

           今日はこれが出来た。明日の事はわからない。これが現状の模様だ。

           出所を忘れたが別説もある→(脳細胞も緩慢に復活する。例えば何万分の1

           程度に。しかしそれを有効に生かすには、幼児期から青年時代までおこなった

           再体験する必要がある。)←というものだが、通常はそんなコトバできないので

           実践的には、出来ない事である。さらに復活の速度が壊れる速度よりおそいため

           結局は復活しない、とも言われている。

           回復は期待できないが病気の進行を鈍化することは期待できる

               ☆生き甲斐について。

           一般に「やりたいこと」を社会整合的に実行、または自己実現していく事だ。

           その観点から、明示された希望や、要求はとんでもない事でない限り、

           容認したり、手伝ったりしてやらせてあげる。

           で「今日は楽しく過ごせた。」と 残された日々を楽しく生きる事だ。

           ☆問題は、自身にとって最低限必要な事であるが、実際の様相として

            不実行であり続けるか 強制に近く働きかけないと実行しない事柄が

            私にとって介護の問題として残る。     

    2002.9.10(火) 曇り晴れ 交互に

        −−◎8時30分、薄曇りだったので田圃方面へ散歩に行った。

        −−◎家事をしてから 喫茶 ”ひらく”へ行った。

        −−◎今日はヘルパーの−K−さんが来る日。

           早めに昼食をすませ(早めにと言うのは いつもの1時とか

           1時30分より 早めに と言う意味)待っていると、1時3分前

           くらいに「こんにちわ」と元気良く入ってこられた。

           母さん 手を洗っていて笑顔で出迎えた。

        −−◎−K−さんの通信

            「今日は大切なネコちゃんに ハンカチで リボンをつけたり

           ぼうしにしたりといろいろと遊びました。トランプも出してくださり

           ハートやスペードの絵合わせのような遊びもしました。画用紙は出ていましたが

           描かれませんでした。コーデュロイの上着を着られ、『暑い 暑い』と

           言われましたが脱がれませんでした。天気が気になるようで 時々

           外を見ておられました。」

        −−◎ヘルパーさんが帰られた後 苧ヶ瀬の池散歩。帰り道で買い物。

        −−◎5時30分から夕食づくり。

        −−◎人間身一つ動く時は、一時間あれば、ずいぶんいろいろな事が出来る。

           人間(=私の事だが)4年より前 母さんが健康なころには、

           朝は 8時頃までに こどもを学校へ送りだしたあとは、それぞれ

           分担の家事を 片付け、8時30分には 母さんは店へ入り、

           私は事務所へ来て 昨晩立てた今日の仕事の段取りを 確認して、

           出張の時は 相手先への確認、配達物と伝票の用意、その他その他と

           つまり1時間あれば かなりの事をこなしていた。

           母さんの病気が少し進行してきたこのごろでは、私の頭の中に もう一人

           母さんの分の頭脳もおかなければならなくなった。

           母さんが 緊張興奮している時はなおのことだが、そうでない時も

           私の頭は2人分に使用されている。

           (この4年間、母さんは 概して おとなしく 素直で 可愛いものを見つけて

           微笑み、面白い物を見ては笑う。よく病気で性格が変わったと言うが

           母さんの場合は「おとなしい」方へ 変わったような気がする。

           7月にディケアに行った時と、着替えと風呂を強要された時以外に

           緊張や興奮した事がない。)

           母さんが おとなしくしていて 特に“無断外出”の気配もなければ 私が

           自分やろうとする事をやればいいのだが、行動のエネルギーを蓄積している時

           母さんが ちょっと話しかけてきて、相手をしているとエネルギーが分散し

           再蓄積を余儀なくされる。時間があっても その1時間の行動力は 

           往時の5分の1くらいになっているかも知れない。


    2002.9.11(水) 曇り

        −−◎朝「恐い恐い」を言っていた。

        −−◎ビンカンの日

        −−◎10時 私が国立岐阜病院岐阜病院へ診察。呼吸器は異常なし。

           来月 胃カメラで検査する事になった。10時20分診察終了(会計も)

        −−◎帰り道 喫茶 チボリへ寄ってきた。

        −−◎ケアマネージャーから「明日相談したい」との連絡があった。

           今月のヘルパー介護計画について話し合う為。

            −−◎玄関整理。新聞、チラシ等を束ねて外の物置横へ

        −−◎夕方、夕食の用意をしていた(ちなみに今日は 具たっぷりのチャーハン)

          母さんが「ふみえさんいなくなったねー」と言う。

          私「ふみえさんて誰だっけ?」

          母さん「さとうふみえさんやがね」

          私「あー、さとうふみえさんか」

          −−−−さとうふみえさんとは 母さんの小・中学校時代の同級生の友だちで、

          とくに小学校のころはよく遊んだと言う事だ。

          卒業以来行き来はない人だ。その子が、「先程まで 店にいたが 今はいない」

          というイメージを持っているらしい。(先程までいた。ということと 

          見えないものがみえるということは ちょっと違う)−−−−

          私「じゃ帰ったんじぁない」

          母さん「そうかもしれないね」と言って3分ほどして

          母さん「さとうふみえさんいないねー」と言う。私もう一度「帰ったんじゃない」

          母さん「誰かといっしょに帰ったのやわ」。

          私「そうやわ誰かといっしょに帰ったのやわ」

          また少しして

          母さん「さとうふみえさん いないね」

          私「誰かといっしょに帰ったのやわ」

          母さん「そうや 誰かといっしょに帰ったのやわ 夜になると恐いもん」

          そして ”ふみえさんがいない”ということを はじめから数えて5回言った。

          それでその話題は小休止。

          ご飯を食べてから(小休止から30分後)母さん店をのぞきながら

          「ふみえさんいないねー」と言い続けて「 ふみえさん来ておったの?」

          と私に聞いた。私は「えっ」と返事に窮した。

          私「今日は家へは来ていなかったよ」と答えた。

          母さん「ふーん」とバツわるそうに笑って、ふみえさんの話はそこで途切れた。

             

    2002.9.12(木)曇り時々晴れ たまに雨

        −−◎ゴミの日、

        −−◎起きたすぐには 食欲がないのか、ご飯のの朝食は食べなかったので、

           9時30分頃それはそのままにして、フレンチトーストをつくり、

           レタス等のサラダとリンゴ、乳酸飲料、をつくってやったら、

           もぐもぐ もんもんもん と食べてしまった。

           喫茶店仕様の食べ物だったせいか 起きてから時間がたって お腹が

           空いていたせいか、わからない。

        −−◎その後 薬を飲ませた(アリセプト、コレステロールを下げる薬、漢方薬の3種)

           これらの薬は、効果を上げているのか いないのか本当はわからないが

           害はなさそうなので 飲ませている。

           飲ませている以上 きちんと飲まなければならない。錠剤は飲んだが、

           漢方薬のくすりを もたもたしてなかなか飲まなかったので、

           「飲まなあかんがね」と強く言った。母さんは私が封を切ってあげた薬を

           封を折り 棚の上に上げてしまったので、もう一度 それを取って「はよ飲も」

           と差し出しだ。また折り曲げて横に置いたので 私は 「のまないならいいよ」と

           それを取り、もみくちゃにしてゴミかごに捨てた。

          −−◎1時30分、ヘルパーさんが来てくれた。

           その間に洗濯を干した。

             母さんが シャンプーをしてもらった。その他 楽しそうに遊んでいた。

           3時30分から1時間、ケアマネージャーと話した。私の思っていることを

           総括的に話した。それに沿って9月の補正と、10月の計画を立ててもらう

           ことになった。

        −−◎夕方は、スーパーへ買い物に行った。

           今日も元気で 機嫌は良かった。

        −−◎私「今日は何があったかなー」

           母さん「なんにも」

           私「誰か来たね」

           母さん「コープ岐阜の車が停まっていたよ」

           何かイメージに浮かんでいるらしかったが言葉に出なかった。

           それで私が 言ったら「うんうん」と返事をしていた。

           「−M−さんと言う人が来たやろ」「うんうん」

           「アルバム見たやろ」「うんうん」

           「シャンプーしてもらって」「うんうん」

           「面白い話して笑って」「うんうん」

           「また来ると言っていたよ」「うんうん」

           これはかすかに憶えていたのだろうと思う。ちょっと前に 実際あったことと

           実際には無かったことを混入させて 言ったら 実際無かったことに対しては、

           否定的な返事をしていた。


    2002.9.13(金) 晴れ

        −−◎ちょっと遅れて9時朝食。7時半には食べられるよう用意はしてあったが

           その時は食べなかった為。

        −−◎午前中、カーマ(生活雑貨品スーパー)へ買い物に行った。

        −−◎12時半 昼食用意開始。1時昼食

        −−◎1時30分 ヘルパーさんが来てくれた。最初10分ほど

           昨日、−M−さんから“報告書”をもらっていた そのなかみに関連して

           少し話し合った。7月以来 来てもらった時の状況や 感じられたこと

           などを記してあった。訪問日ごとにまとめてあり A4四枚分あった。

           ☆1、雰囲気は楽しいが、お絵かきやゲームなどに興味を示さない。

           気の向くままに過ごすのが いいのかな?

           ☆2、風呂、着替えを実行するには、生活に立ち入って関与しないと無理がある

           ☆3、その日の終わりがけ、記録連絡等の時間を確保してもらいたい。

           私に関係ありそうなことは この3点。

            3人のヘルパーさんそれぞれの、多面的な見識の結果だと思うが、

            母さんが快適に過ごした ことについて お礼を言った。

            −M−さんのゆきとどいた報告にも謝意を述べた。

            ☆1については 気の向くままに過ごす 事しかないように思った

            ☆2、母さんの気持ちも考慮に入れつつ順次。今日は干してあるふとんを

               取り込んでもらうことにした。

            ☆3、こちらが全く気付かず、本日より実施。

        −−◎連絡ノートの 通信より

            −−「一緒にふとんを入れました。とても上手にふとんをたたいて下さり

            かたずけました。洗濯物もたためました。

            トランプは1〜10と数字はわかるようですが、同じ記号を合わせる、

            数字を合わせる、神経すいじゃくの様なゲームは出来ない様子でした。

            笑顔で 機嫌良く過ごして下さいました。−−以下略−−」

        −−◎私も 場慣れ するのに時間がかかる という性質がある。

           ヘルパーさんに来てもらうようになって2ヶ月経過して、ようやくそのこと

           に慣れてきた。少なくともその間は、私の頭の2分の1を母さんの分に開けて

           おかなくても良いなと思えるようになってきた。

        −−◎夕食は1時間以上煮込んでカレーライス。

        −−◎夜は3人で本屋へ、


    2002.9.14(土) 曇り 朝室温24℃

        −−◎生協配送日。

        −−◎生協が来て、店のシャッターを開けていたので、家の店を信じ切っている

           貴重な近所の婆さんが、「切ってもらえんかね」と来られた。

           他のお客さんはすべてお断りしているが、連れみたいなもんやから

           はいってもらった。廃業届はまだ出していない。

           一応カットは出来た。ときつけしセットアップすると、どうと言うことはない

           でもちょっと気が引けたので、私が「今日は料金は要りませんよ」と言うと

           「やってもらってそんなわけには行かない、わかっているから

           取っておいてちょうだい」「でも いいですよ」とかやりとりがあって

           3分の2をもらった。

           不思議だと思った。この婆さんの中にある 母さんの店に対する

           客としての経過と信頼は(社会的な意識)は 母さんが 他のことは

           ほとんど何も出来なくなっているにもかかわらず、また このような条件

           でなければ あり得ない“現金収入”もたらしていると言うことである。

        −−◎朝方曇りで暑くなかったので、田圃方面へ散歩、前回の散歩時と較べると

           稲穂は少し垂れていた。

           娘は 今日は 予定に従って“朝寝”をして11時に起きた。

           昼から塾の自習室へ行ったが、満席で席がなかったとのことで

           帰ってきた。自分の部屋で自習し、夕方から夜の部へ行った。

        −−◎娘か家にいたので母さんも「どっかへ行こ」と言わずじっとしていた。

           今日は母さんじっと座っていることが多かった。時に応じていろいろ

           しゃべったが 連続的に母さんの相手ばかりしているわけにもいかず

           その時はじっとしていることが多かった。

           それで今日でなくても良かったのだが 電球が一個切れていたので

           カーマ(生活雑貨品スーパー)へ母さんと一緒に買いに行った。

        −−◎母さんのおもしろがるもの

           娘があくびをしたり、私があくびや その他の奇声を発した時。

           

    2002.9.15(日)晴れ

        −−◎娘、模擬試験。

        −−◎会場へおくっていったついでに、母さんと私は喫茶チボリへ

        −−◎戻ってきて、洗濯干し、その他。

        −−◎日曜日、事務所は閉めていても仕事はあり(以前はきちんと休んでいたが

          このごろそうも行かなくなっている)母さんその間じっと黙ってイスに

          座っている。時折締めてある店の方へ行きなにやらごそごそ。

          気分は安定している。

        −−◎ハイビスカスの花の小鉢が4個ある。日当たりを好むので 

          花のない時は外に出しておく。

          朝起きて咲いていると「おーっ咲いた」と言って 持ち込んで店の鏡の前に

          飾る。今の時期 ちょうどうまい具合に1日1個ないし2個咲く。花は

          1日しか持たない。花が落ちると、また外に出しておく。

        これも また 母さんの目の保養だと思ってやったいることの一つだ。

        −−◎夕食後、カラフルタウンへ行って、由紀さおり、安田祥子の「秋・冬の歌」

          を買ってきた。「春・夏の歌」は今まで聞いていた。母さんが車に乗っていて

          自分の気に入った歌が聞こえてくると 鼻歌で調子を合わせている

         

    2002.9.16(月) 朝 ぱらぱら雨 曇り

        −−◎8時20分から、田圃方面へ散歩。

        −−◎帰ってから、20分ぐらい また車で出かけた。戻って車から降りると

           近所の奥さんがが「○○さんとこの犬が 昨日ちょっとした隙に

           いなくなってしまったのやって、年寄り犬やけど、小さい白い犬で、

           ふらふらしてまっすぐ歩けないほどで...」

           ○○さんの家も すぐ近所だ。

           母さん「えーっ どこいったんやろ」

           その奥さん 母さんが病気だと言うことは知っているが、現実の受け答え

           からは とても5分前のことを憶えていないようには見えない。だから

           どんどんしゃべる。しまいの締めくくりは私が出て「車にひかれた様子は

           ないようだから、空き地の草むらにいるかも知れないから見かけたら言うわ」

        −−◎昨晩、給湯器が故障して、本日 祭日振り替え休日の為 明日火曜日しか

           来れないと言うことで、風呂場が使用不可、洗髪は別の給湯器があるので

           使用できる。

        −−◎午後、インターネット接続設定で、M氏宅へ行った。母さん その家の白猫と

           一緒に遊んでいた。

        −−◎その後、スーパーで買い物(食品)。カイロも。

           スーパーの中で手招きする2人の ご婦人がいたので 近づいていくと

           娘の小学校のころの同級生の母親がいた。この人たちとは、親の同窓会

           みたいに 任意の十数名が年に一回集まって夕食会をしている。

           今年は“泊まりがけにしようか”と言う話が出ているがどうかということ

           だった。私としては 泊まりがけは参加できないが

           会としては泊まりがけも良いだろう と思い 

           「どちらでも良いけど、家は泊まりがけでは参加できないと思う」

           と言っておいた。

          −−◎夕食後は、本屋さんへ行き、いろいろ見て回った。母さんが 本の題名を

           声を上げて読むので気が引けた。

        −−◎ここ数日、母さんが 皿を洗う時、スポンジたわしの使用を復活している。

           点検はしているが 洗い直しをしなくて済んだ。

            

    2002.9.17(火) 雨

        −−◎午前10時50分、喫茶店チボリへ

        −−◎1時から3時まで、ヘルパーさんが来てくれた。

           もし曇りならばやってもらおうとしたことが出来なかった。

           プランター周辺の草を取り、咲いている花を引き立たせるようにすること。

           一番近いスーパーへ一緒に買い物に行ってもらうこと。

           などがどうかと思っていたが雨だったので取りやめた。

           で 母さんが先日描いた絵に 色塗りをするのを見ていてもらった。

           あとシャンプーをしてもらった。

           その間に 雑用を済ませ、雨で見合わせていた 洗濯物を干場にしている

           廊下に干した。目覚ましを掛けて30分間寝た。

        −−◎連絡ノートの 通信より

           −−「うかがった時、絵の具で以前書かれたネコちゃんの絵に色を付けて

           見えました。ていねいに1つ1つぬってみえました。シャンプーさせて

           いただきましたが「一度洗い」しか出来ませんでした。

           絵をかかれはじめると集中して書かれます

           ネコちゃんも 近くにいて楽しく過ごせました。−−−−−
           −−−−
            −−◎その後、苧ヶ瀬の池へ行き散歩。(曇っていたが雨は無し)買い物

          −−◎今日一日の気分は 良かったようだ。

        −−◎昼だったか 夕方だったか「ふみえさんくるか?」と私に聞いたので

           「いや 来ないと思うよ」と言った。先日来 “ふみえさん”が

           頭に浮かんでいるようだ。

          −−◎本巣のばっちゃから梨をもらった。


    2002.9.18(水) 晴れ

        −−◎問題があったが、無理矢理通過しようとした。経過の中で、通過は

           無理矢理でなかったが、問題が来月に残された。

           問題とは、母さんの 岐阜県立病院婦人科の診察の件だ。

           昨晩、「風呂へはいりなよ」と勧めたが なかなかはいらなかった。

           風呂は私があきらめて、

           「じゃ、下着を替えなよ、下着だけでも替えて行かなきゃ」と洗濯した

           艶めかしき4点セットを出してあげた。替えようとしないので、

           「はよ替えてよ」と言うと その4点セットを自分の袋の中へ

           入れてしまった。「替えなきゃいかんて、明日診察に行くのやから」

           と強く言った。そしたら母さんは怒って

           「何でそんなこと 人にとやかく言われにゃならんの?」と言う。

           私はカッとして 母さんには理解の出来ない理由を言った。

           「一般的に言えば 人にとやかく言われる事柄ではない。けど

            母さんが 汚れた下着のままで診察を受けることは 母さんにとっても

           よくないし 先生にも失礼だ。けど 自分がそれで良いなら、

           そのままでいい。明日はそのまま行こう」と言って それ以上言

           わなかった。母さんも寝た。

           私は 実は欠席しようと 思った。

            婦人科にかかったいきさつは、アルツハイマー病発病後2年経過した時だ。

           普通よりもひどく「暑い暑い」涼しい時には「寒い寒い」と言っていた。

           これはいわゆる「更年期障害」の症状だと言うことでその治療、薬を

           継続している。愁訴 気分不安定も出たりして、アルツハイマー病との

           相乗的症状が出てくると 病気が一層ひどくなったようになる。

            治療のせいか どうかわからないが、理由無く情緒不安定になることは

           ないようだ。

            ところで この治療を継続するには、最低年1回は「細胞検診」を

           しなければならないが、それがこの9月になっている。

            先生には アルツハイマー病であることは 話してあるが 専門外で

           「風呂に入りたがらない」などの特殊事情はわからないかも知れない。

           母さんが寝てから 娘が言う、

             「これが この病気の特徴なのよ。そういって言えば」と

           ガーン!!。

           私が言っていたことを 投げ返されたようだ。いつも言っている。

           事故や、不幸な事態に 直面した時、社会的整合性の中で 取り繕って

           進めるが、どん底まで落ちてしまった時(−この場合は衛生という問題で−)

           は そこを出発点として進んでいくのだ。と

           そして本日。

           診察室で、「済みません。風呂にはいっていないもんで」と そのまま

           「細胞検診」をしてもらおうとして言うと、

           先生は「そうか そうか じゃ来月にしよう」と 注射と薬を指示してくれた。

            推測するに「細胞検診」の基準が 内規程度の 厳しいものでないかも

           知れないし、去年、月末に検査しているので、本日現在では「一年以内」

           だったのかも 知れない。問題は来月に持ち越された。

        −−◎久しぶりにボーリングに行った。(前回は2000/6/27、点数142点)

           今回の点数は140点。ボーリングの点数を運動機能のバロメーターとして

           見ているが、今年の経過を見ると 少しずつ下がってきているように見える。

           本年4月ごろから ちょっと後退していることは、

           自分の順番が来ても、「さあ やろう」とかいって 声を掛けないと

           何時までもやらないことがあったり、

           一投目を投げて 残こりピンがあれば 当然2投目を投げることになるが

           促さないと投げないことが多くなった。

           それと1回に3ゲームずつやっていたが、2ゲーム目までは、促したりして

           だいたいやっていくが、3ゲーム目になると 根気が続かないのか 

           脇見ばかりしていて ゲームの進行がかなり遅くなるようだ。

        ボーリングの点数今年の経過
        ---------------------------------
        2002年01月10日..164点
        ---------------------------------
        2002年01月17日..132点
        ---------------------------------
        2002年01月25日..159点
        ---------------------------------
        2002年03月11日..178点
        ---------------------------------
        2002年04月23日..150点
        ---------------------------------
        2002年05月20日..149点
        ---------------------------------
        2002年06月27日..142点
        ---------------------------------
        2002年09月18日..140点

        −−◎今日はもう一つ書くことがある。

           ボーリングから帰ってきて 4時 母さん イスに掛けて しみじみと

           「足が黒くなってしまったなー」という。

           40日くらい足を洗っていないから、足の指先など ほんとに黒い。

           夕方までまだ時間はあるから、今日は足を洗うべき と思いたつ。

           「足洗おうか くつした脱ぎなよ」と 第一報のひと声。

           パンストの上に短ソックスをはいている。「破れてしまった」と言って

           短ソックスを脱いだ。つぎに パンストを下へ引いて脱ごうとしていた。

           ズボンを脱がなければ 脱げないのだが黙っていた。続けて脱ごうと

           頑張っていたので、ハサミを持ってきて「切ろうか」と言うと

           「もう少し待って」と言い、なお頑張っていた。

           母さんの考えの中には 論理ではないが 感性的に

           「めんどうに ズボンを脱いでまで 足を洗うくらいなら洗わなくてもいい」

           と言う考えがある。世間では 頭に 怪我をしたり おできが出来たり、

           すると その周辺の髪の毛を剃ってしまった治療をする。

           それと較べたら いっこうかまわない。7月に、心電図測定の端子を貼る

           為にパンストを切り取ったことがある。

           私の中には、パンストを守るよりも、気運の盛り上がっている時に

           足を洗うことが大切との判断もある。でも母さんが言い出すまで

           時折 別のことを言ったりしながらじーっと待っていた。

           二階へ行ってパンストと短ソックスの新品のはいっている箱を持ってきて

           「後で替えればいいから...」と安心させたりしていた。

           ついに 脱げないと言うことに気がついて、母さんが「切ろうか」と言った。

           「そうか、じゃ切るよ」とジャクジャク切って足が出てきた。50日くらい

           足を洗っていないから、黒いも黒い 足の裏は 角質が層をなしていた。

           風呂場でシャワーをかけて、石鹸付けてゴシゴシと洗ってあげた。

           母さんは 自分の足を見て「きたないねー」といったり、洗っていると

           「くすぐったい」とか「痛い」とか言いながら、洗わせていた。

           きれいなタオルで 自分で足を拭いてさっぱりした様子だった。

           爪も切っていなかったので、伸びた爪が横へわん曲していた。

              頃合いを見て、「爪も伸びすぎているねー」というと 爪を切るというので

           横に座らせ、切ってあげた。切った後、母さんも 補正的に自分でも切り

           爪切りのヤスリでサッサッと磨いていた。

            済んだ後 人にやってもらったと言うことだが 不快感を別に持って

           いなかったようだ。私には初めての経験である。この教訓は、

           本人が「やる」と言うまで 機運と雰囲気を盛り上げることかなー 

           と思った。

        −−◎「今日はどこへ行ったかなー」

           母さん「知らん」

           私が ボーリングの点数表を見せ、ボーリングのポーズをして

           「何処へ行ったけ?」と言うと

           母さん「AC グランドや」と言った。

           AC グランドとはボーリング場のこと

           私「ストライクも出て、点数は 140点で 何時行っても 俺より上やがね」

           母さん、にこにこうれしそうだった。    

    2002.9.19(木)晴れ

        −−◎ゴミ収集日。16日(月)が振り替え休日で 収集がお休みだったので

           今日は2回分たまっていた。

        −−◎このごろ 朝「恐い恐い」を言わなくなった。

           それを自覚する機能が低下をしてきたのかも知れない。

           数年前のアルツハイマー病に関する本では 「本人には病気の自覚がない」

           と書かれていたが、母さんの場合、少なくとも4年経過し5年目にはいった

           現在でも 病気になっているという自覚はある。

           すこし前まで「どうしてこんな風になってしまったんやろ」と

           何回も何回も言っていた。

            −−◎先日(9.12)、ケアマネージャーと相談していたことについて、

          その翌日(9.13)プランをFAXで送ってもらっていた。

          当面は、ヘルパーさんに、見守りをしてもらうことを中心にお願いした。

          確定案一件と 参照案2件と つごう3案 もう一度連絡し合って、10月

          予定を決めることになる。今日当たりは連絡しなければ....。

          −−◎11時、グッド 来訪。下水道工事の見積書を持ってこられた。

           工事概要について、相談

        −−◎12時、クオレ化粧品がシャンプー持ってくる。

        −−◎1時15分、ヘルパーの−S−さんがきてくれた。−S−さんは

           3回目だが 前回は私の 運転免許証 書き換えについて 母さんに 

          一緒に付き添って行ってもらったので 家で いっしょにいてもらうのは

          初めてだ。

          「こんにちわ」とはいって来られると、母さん 出ていって、

           にっこりあいさつ。

          「私わかりますか?」「うん」と返事をした。顔はおぼえがあるが 

          名前が出てこない様子。「ヘルパーの−S−です」

          一緒に店に出ていって、母さんの自己紹介のような意味でアルバムを一緒に

          見てもらって、今までに描いた絵を見てもらった。母さんは写真について

          一生懸命説明していた。

        −−◎連絡ノートの 通信より

           −−「本日、はじめて1人で訪問させていただきました。写真を一緒に

             見せて頂いたりして、途中まで過ごさせて頂き、パズルなど一緒に

             過ごさせて頂きました。私の洗髪のさそい方がよくなかった様子で、

             気分を悪くさせてしまったご様子です。申し訳ありません。

             次回から気をつけます。」−−−−−−−
             −−−−−−−−−−−
             ☆−S−さま、本日はありがとうございました。

              この程度のことは ご心労に及びませんから次回もお願いします。

             (お帰り際 母さんも聞いているので丁寧に申し上げられませんでしたが)

              テンポをゆっくりしゃべって頂くことと、

              何か“しなければならない”と言うことがあるわけでもありませんので

              気の向くままに過ごすようにしています。気ぐらいが高く 自分自身の

              事についてひとに 指図をされることをきらうようです。

              洗髪は いままでは(病気になってから)週1回ぐらいしかやって

              いないので、今日はその気分になっていなかったのだと思います。

              ひとときも 目の離せない、お役目を おっかぶせまして感謝して

              おります。目は離せませんが 言葉と行動は1分〜5分の小休止が

              あっても大丈夫のようです。

              来週もよろしくお願いします。
           −−−−−−−−−−−−−−
             (☆関係者のどなたか この件↑−S−さんが見ておられなければ
               伝言をお願いします。)

              −−◎今日は夏ごろとくらべると 涼しく 空気も乾燥していて母さんの気分快調。


    2002.9.20(金) 晴れ

        −−◎このごろは 無断外出(=徘徊)はあまりしない。涼しくなったので

           ひとりで出て行くことはある。ぶらぶら近所を歩いて5分以内に戻ってくる。

            今までのことを振り返ってみると

           1 いつもやれていたことが やれなくて 動揺している時(初期のころ)

             2 怒られた(と本人が思った時)

           3 たいくつでどこかへ行きたくなった時

           4 気の進まないことを やらされた時

           5 ばっちやのことが気にかかっている時

           6 出先などで 車の中で 待ってもらっている間に、私を見失ったと思い、

             車を離れて探しに行き、今度は車の位置がわからなくなって、行方不明

             になったことがあった。

           などが原因で、黙って行くことがあった。

               ☆ 本人に 願望のあった時 「どっかへ行く」とか「喫茶店へ行きたい」とか

             「本巣へ帰る」とか 言うので、その時ら連れていってやったり

             都合のつく時間に 連れて行ってやると、あまり行かないものだ。

             経験を積むと すぐ戻ってくるか、ちょっと遠くへ行きそうか、

             わかるようになってくる。

        −−◎ガス給湯器の操作盤か壊れて取り替えてもらった。

        −−◎1時30分、ヘルパーの−M−さんが来てくれた。

           今日は、当初予定は 二階で下着類の整理を母さんといっしょにやってもらいつつ

           母さんが −M−さんに だんだん慣れてもらって...と思っていたが、

           母さんがなかなか 二階へ行く気分にならず、そこまでいたらなかった。

           絵を描いたり(途中まで)お話ししたり、美容の本を見たり、楽しくすごしました。

        −−◎連絡ノートの 通信より
        −−−−−−−−
           −−−−−とてもにこやかにすごされました。

           描きかけの絵に手を加えたり、色を少しぬられたりなさいました。

           美容の本を見て話して下さる時は顔もキリリとされ、表情も先生の顔付きで

           お話しして下さいます。

           「いつでも来やーョ」とやさしく笑顔でおだやかです。

           衣類の整理はおさそいしましたが、きょうはそんな気分になれません

           でした。また今度やりましょう。−−−−−−
        −−−−−−−−−
        −−◎ケアマネージャーと電話で 先日FAXで送られた案を見ながら

           10月の予定について 話し合い 予定を決めた。

        −−◎今日は 私の 誕生日だ。例年 自分の誕生日などは、憶えておらず、

           その日が過ぎて 2・3日してから思い出していた。今回は 運転免許証の

           書き換えがあって、「母さんのお守りをどうしようかなー」などと思案して

           いたので忘れることはなかった。

           娘が 塾の帰り時間が30分ほど遅いなー≠ニ夜だから心配していたら

           誕生祝いだと言って ご飯の茶碗を買ってきてくれた。家にはそれぞれの

           ご飯茶碗の他に所属のないご飯茶碗が数個ある。だいぶ前に割れてしまったため

           私は 所属のない茶碗を使用していた。買ってくれた茶碗は直径が7_ほど

           大きめで 伏せてある状態で見ると 濃い紺色で、特に目立つところはないが

           中側は灰色のバックで しろの大きな耳のウサギの顔がかいてあった。

           「よし 明日から これにしよう」と熱湯消毒にかけた。

           昔流に言えば 還暦 と言うことになるが まだまだ 現役であることを

           要請されている。今年から(といっても今年はわずかだが)以前に15年ほど

           勤めていた(追加掛け金で20年とし)ころの年金が入ることになる。

           物価の変動と 当時の賃金の低さで たいしたことはないが、母さんの病気で、

           私の仕事も セーブしている関係上十分当てにしなければならない資金である。


    2002.9.21(土) 晴れ

        −−◎朝、散歩 田圃方面、この方面で 私たちが最長コースとしている遠回り

           で普通に歩いて25分かかった。母さんの足取りはとくに支障は出て

           いないようだ。

        −−◎生協配送日

        −−◎小学校の運動会があるというので午後1時から見に行った。

           娘が小学校のころは児童850人のマンモス校いまは それより少なくなった

           と言うが何人くらいか?

           一本の 2メートルほどの 棒を4人が両手でつかみ横一列に並んで、走り

           目標物を廻ってくる競技だった。

           次は100メートル走、次は 魚屋さん方面で流行している 魚の歌

           を使ってのダンス(漁業組合が出した歌)などなど続いていた。

           母さんが 時々 娘を 小学生と間違えることがあるので

           私「○○はいるかなー」と言うと

           母さん 即座に「ここには いないわ、ここは小学校やから」

           私「そうや ここにはいないわなー」

           今日は「正気」だったようだ。

        −−◎帰ってきて おやつの時間 「店」にこのごろはテーブルをおいている

           のでそこへサンドイッチと菓子、コップに飲み物を出し 喫茶店風に

           並べて「貸し切り喫茶店だよ」というと 喜んで笑っていた。

           運動会から帰って30分以上経っていたが、

           「こどもがものすごくたくさんいた」ことや、「棒を持って走っていた」こと、

           「魚の歌のダンスをしていた」ことなどを 今日は良く憶えていた。

            

    2002.9.22(日) 曇り

        −−◎午前、プランター周辺の草取り、咲いている日日草などを1つのプランター

          にまとめる。空いた鉢、枯れた鉢は、来年用に片付けた。

          「木」類は 自己流に枝切りをした。

          母さんも 草を抜いたり、散らかった葉枝を 掃き集めてくれた。

          草取りをしていたら、足元に 小さなやもりがいた。いつも見かけるのより

          半分ほどの大きさで全長4センチくらい。ビンにとり、少し観察して

          同じ場所へ逃がしてやった。

        −−◎喫茶チボリへ行った。

        −−◎午後は 家でじっとしていた。

        −−◎夕方から おひまち に行った。

          ☆おひまち とは どの地方でもある事であるが お彼岸のお参り のことだ

           町内会200世帯ほど 公民館に集まり、お寺さんに 現世利益について

           お祈りをしてもらう行事だ。集まりを機会に 会食をして 親交を深める

           という物だ。

           母さんの発病後も 軽度のうちは、母さんに家にいてもらって出席していたが

           去年は欠席した。今年は 「母さんを 人前に出そう」という意図で

           2人で出席した。厳粛なお祈りの最中にも「暑い暑い」とか

           すわっているために「足が痛い」と連発した。しかし 「お祈り」の

           邪魔になるほどでもなかったので、うちわで目立たぬように あぶってあげたり

           「足をのばしなよ」と言ってその場を過ごした。

           お祈りの後は 自治会の今半期の活動報告があった。

           放火事件や痴漢を防ぐ街灯の増強、交通信号の改善 自治会墓地の清潔

           についての注意、緊急災害時の公民館使用を市に認定させる運動、

           防災意識の向上 などであった。

           話が終わると 会食になるが 合図と共に 弁当を持って退席された人が

           数名あった。箸だけ付けて10分以内に退席した人が、3分の1ほどの人が

           退席された。私と母さん本当はもう少しいてくると良かったのだが 7時に

           私の客人が来ることになっていて 母さんに「家へ帰ってから食べようか」

           と言って退席してきた。

           座る席は 同じ組が ひとかたまりに座るので、まわりは近所の人ばかりで

           母さん 笑顔で黙礼をしていた。

             母さんを連れて行った今日の目的は達したが、もし災害が発生したりしたら

           ひとりでいることの出来ない、母さんを連れて どうしたものかなーと思う


    2002.9.23(月)晴れ

        −−◎秋分の日、−さわやかな秋の空気だ、母さんの気分もいい。

           またゴミ収集の休み日と重なった。

        −−◎喫茶チボリへ行った あと 岩戸森林公園へ散歩。駐車場は木陰にあり

           母さん 車の中で 自然物を観察、私 車の中で15分ほど昼寝。

        −−◎“当社”も祭日で休日、午後 私が お腹の具合が悪いような気がして、

           店のイスにかけて 昼寝の続行。一時間ぐらい休憩していて 途中眠りもしたが

           母さん 邪魔をせずあちこちしながら待っていてくれた。

        −−◎3時すぎ、苧ヶ瀬の池へ散歩。いつもは暑かったりして、

           少し歩くだけだったが、今日は 暑からず寒からずで、一周廻ってきた。

        −−◎最近の母さんの模様は、体調は元気、気分もほがらか、着替え 風呂以外は

           私の指示に良く従う、家で 私が昼寝などすると 突っついて起こすが

           私が何かやっている時は そのまま 30分でも 1時間でも 自分も

           動いたりしながら 待っている。このつぼさえ心得ていれば、一緒にいるのに

           さほど困難はない。しかし一日中注目していなければならないということは

           確かに 疲れることは疲れる。

        −−◎座って話していたら、また「ふみえさんきたか?」と聞いた。

           私「見ない、来ていないよ」と答えた。

           母さん「シャッター締めてあるし、帰って行ってまったんやわ」

           ここ2・3日 幼いころ遊んだ ふみえさん のことを 

           思い出しているようだ

            −−◎母さん 店の方を見ながら「全部は出来せんわ」と言った。

           何をイメージしていっているのか、見当がつかないが、実害がなさそうなので

           私「そうや 全部は出来ないよ、で 何をやるの?」

           母さん「いまそれを考えておるところや」

           私「店の掃除?。要らない物の片づけ?」

           母さん「さあ 知らん」

           なんのことか さっぱりわからず、だったが

           母さん また「全部いっぺんには無理や」と

           私「全部は無理や、少しずつ順番にやればいいよ」

           母さん「そうや ちょこっとずつならいいけど」

           何のことかわからなかったが、そこまで話すと しっくり納まったらしく

           その後は言わなかった。

           

    2002.9.24(火) 晴れ

        −−◎岩戸森林公園一周散歩す。上空 くまなく青空。

           西側山頂にお城が くっきりと見える。

           母さん「彼岸花だよ」と。森林公園とは言え 自生のものにまで、

           取捨選択を加えていないようだ。

           通路の日だまりに 灰色しまの猫が寝そべっていた。車は通らないから危険は

           無いが 真ん中にそのままいた。近づくと 猫は私たちが通れる分だけ

           道をあけて、そのまま座って通り過ぎるのを見ていた。むこうにもう一匹

           黒の猫がいた

           薔薇の一画はひところ、赤、ピンク、しろ、黄色、の大輪を見せていたが

           いまは 赤の小さめが、ポツポツとあるのみ。

           ふわぁっとした香りは、金木犀か 沈丁花か あいにく 木種を示す名札が

           取れていてわからぬが 通り抜けていく。

           中ぼどにある藤棚の下で 一休み。あきあかねががとんでいたが、数は少なし

           空気が赤みをおびるほど 飛ぶ日が 2・3日はある。

           芝生のあたりを それぞれ別色の蝶々も舞っていたが こちらは

           最後の暑い日を楽しんでいる様子。

           見ていたら 柵のあたりに、“侵入”してきた ニワトリが一羽、地べたを

           ついばんでいた。

           今日は母さんの目を楽しませる散歩コースだった。 −−◎後は喫茶チボリへ行って休憩。

        −−◎母さんの店の お友達に近いお客さん セットに来店、としこさんが来てくれて

           手伝ってくれた。

          −−◎1時から3時まで ヘルパーさんが来てくれて 母さんの世話をしてくれた。

           店に飾ってある 以前に母さんが 世話した「花嫁さん」の写真を見ながら

           ヘルパーさんにお話ししていた。ぬいぐるみのネコと遊びながら、

           母さん「この子 だんだん大きくなって いろいろわかるようになってきたよ」

           と ヘルパーさんに話していたそうだ。

        −−◎連絡ノートの 通信より
           ------------
           -------おだやかにすごされました。

             訪問時 昼食を食べられてました。

           テーブルの上に 塾の案内所が置いてあり読んでくださいました。

           写真も この人はだれ など説明してくださいました。----------
           -------------
          −−◎帰られたあと、苧ヶ瀬の池へ散歩に行った。その後買い物。

           季候も良く 母さんの気分も快調だった。

           

    2002.9.25(水) 晴れ

        −−◎本日も午前中、岩戸森林公園一周散歩。

        −−◎11時から3時まで仕事、

        −−◎3時から、苧ヶ瀬の池 本日も 一周廻った。足はなかなか健在。

           2年くらい以前苧ヶ瀬の池へ 散歩として行ったころ 対岸が遠く見えるので、

           「ここはおおきいから一周は無理やわ」と言っていた。

           今日まわっていて 半周を通り越し 全体の4分の3歩いたところで

           本人は元気良くさっさっと歩きながら「一周は無理やわ遠いもんね」

           などと言いながら、歩調をゆるめることなく歩いていた。

           もちろん私も 歩調をゆるめることなく

           「そうだよ こんなに遠くては一周は無理だよ」

           母さん「うん うん」などと言いながら一回りしてきた。

        −−◎自動車屋へ行きオイル交換。

        −−◎母さんの気分良し、反応も良し(しゃべったのに返事をしないと言うこと

           はなかった。)

    2002.9.26(木)曇り

        −−◎今朝は雑用があって 喫茶店へ行かなかった。その間母さんじっと座って

           私が何か言うと返事をし ぬいぐるみのネコやあたりの物をさわったり

           気がついたことを私にしゃべったりして待っていた

        −−◎物置設置について工事屋に手配。

        −−◎昼食は、簡単に 和そば、青物野菜のおひたし。柿。

           ネギを刻んでいると、母さん 私の口元へ 黒砂糖飴を差し出した。

           「ああ、ありがとう」といって受け取り、“ごはん前にあめ玉か”と思い

           真板の隅に置いた。

           母さん 自分でも一個食べ 少しして、私もまた食べてしまったのかと

           母さんが思って もう一個差し出した。私はうっかりしていて

           「もういらないよ」と言ってしまった。健康状態ならば なんと言うこと

           のない会話の流れのはずだったが、これが気に障ってぷいっと店の方へ

           行ってしまった。 5分ぐらい経って 用意が出来、おどけたそぶりで

           呼びに行くと、機嫌はなおっていた。

        −−◎1時30分からヘルパーさんが来てくれた。今日は−S−さん

           一番大事なことから先にやろうと 50分間 時計をかけて昼寝(※)。

        −−◎連絡ノートの 通信より
           ------------
           -------今日は2人で 絵を書いて過ごしました。秋ということで、

           おち葉など書いてみました。とても集中して書いてみえる時もありました。

           いろいろ絵の話しも聞かせて頂きました。途中、外に出て電線の工事

           など見て、外の空気もすい、すごさせて頂きました。----------
           -------------
        −−◎(※)私の昼寝について。

           睡眠不足というか それにしては 母さんが病気になる以前から、

           3分あれば、眠りつく と言う特技がある。横になってから15分

           以内に起きるなら、時計はかけなくて良いしそれ以上になると時計を

           かけて昼寝する。人によっては「少しくらい寝ると頭が痛くなる」と

           言う人がいるが、私はそう言うことはない。

        −−◎記憶には(体験により私の用語で表現すると)3種類ある

           1,言語的論理的記憶

           2,感性的記憶 目、耳、鼻、口(=味覚)で感じる記憶、言語は補助的

             にしか作用しない

           3,生理的記憶、痛い かゆい、熱い、冷たいなど、触感的なことの記憶

           健康な人は、複合的に 使用して その差を意識しないが、アルツハイマー病

           に罹っている場合、言語的論理的記憶から失われていく。

          「海馬」の障害に続いて、脳の「新しい皮質」前頭葉から萎縮していくことと

           照応している。

        −−◎

    2002.9.27(金)曇り

        −−◎7時起床。

        −−◎朝食等、朝の家事日程は、終了したが、細々した、雑用があり、

           喫茶店へ、連れて行ってやることが出来なかった。

           母さん 出る気 満々でうろうろしていた。11時近くなった。

           これから喫茶店へ行っても モーニングサービスはないし 一般昼食客と

           重なる事になるから...。即決判断をして3・40分、くるまに乗せて

           あげることにした。くるまに乗ると 気分が変わって、何やかやと

           しゃべり始めた。

        −−◎戻ってきて 朝から用意してあった 昼食。

        −−◎今日はヘルパーさんが来てくれたため。あらかじめ 私の方の客人が

           2時に来てもらうことにしていた。

        −−◎1時30分ヘルパーの−M−さんが来てくれた。

           計画は 私が母さんに「あとで洗濯を入れおいてね」と言って、二階へ

           行ってから、母さんの衣類の整理点検、出来たら着替えもする

           (洗濯の取り入れは口実)事にした。

           シャンプーをしてもらってから、二階へ行ってやってもらった。

           洗濯の取り入れと上着(=ブラウス)の替えだけだったが、

           一歩前進と言うべきだ、母さんがだんだん人慣れしてくれば、

           やれるようになると思う。下りてきて少し遊んだ。

           途中から初めて見るヘルパーのにしださんも来てくれて、一緒に

           いろいろ世話してくださった。10月から来てもらう時、いきなり

           知らない人では なつかないといけないと思って、今日は顔見せに

           来てもらった。

        −−◎連絡ノートの 通信より
           ------------
           -------シャンプーしてすっきりしました。顔もサッとそりました。

             ブラウスが汚れていたので着がえてもらいました。少し時間がかかり

             ました。(下着は替えてもらえませんでした。)

             にしだヘルパーも来てくれて一緒に楽しくお話し出来ました。----------
           -------------
        −−◎70歳以上のの人の発病と60歳以下の人の発病の 気の持ちよう の違い

           70歳以上の人は 一般的に「停年」または「引退」を体験している。

           60歳以下の人は 一般的に 現役で仕事の継続中である。

           60歳以下の人の方が、年齢的なお役目の上で引退出来ないのに

           引退せざるを得ない、特に母さん場合 孫の顔を見て無いどころか、発病時

           こどもはまだ中学生で、教育やその他の世話の義務が完了していない。

           一瞬に無知状態になるのでなく、義務感を背負いつつ徐々に悪くなって

           いくのを自覚しつつ通り過ぎてきた。

           これは大変な苦悩だったと推測される。

        −−◎“告知”については、だれが告知したと言うことはなかったが 自分で知って

           しまったと言うことだ。

           非常に初期の段階で、ひとつのこと、あるいは いろいろなことについて

          “忘れている”ということを 人との生活の過程で 自覚してきた。

           いろいろな物の置き場所を忘れてしまい、はじめは自分で探していた。

           自分でも「これはおかしい」と思うようになっていた。

           病院に行くことも、母さんが 「何が原因やろ」とか言い 何の抵抗もなく

           自分の意志で行き、一年経っても原因病をつかめず、(極初期では他の病気と

           識別出来ないのでやむを得ない)ようやくわかった時には 母さん自身も

           それを知ってしまったということだ。

           「恐い 恐い」も そこから発しているように思われる。

           ごく最近まで、「なんで私ばかりこんな病気になったんやろ」と言っていた。

           「どっか行こ」「あれ食べたい」「おもしろい」その他、意識ある状態を

           出来るだけ長続きさせ生きて行って欲しいと思う。

        −−◎

    2002.9.28(土) 雨

        −−◎生協配送日、11日前に雨か降った。その後降りそうな空模様だったが

           降らず、今日ようやく降った。

        −−◎喫茶−チボリへ。ここ10日ばかり ながやさんを見かけない。

          休んでいるらしい。

        −−◎洗濯を 中の干し場に干す。

        −−◎午後 苧ヶ瀬の池へ ほとんど雨は上がっていた。

           道々「安田シスターズ」の歌のテープを聴きながら、それに合わせて

           小声で歌っていた。

        −−◎娘 塾主催で「明治村」へ友だちと行き、「日本史」の研究とか。

        −−◎夜昼反転について

           うちの母さんの場合、いままでのところ夜昼反転は全くない、

           2年ほど前、夜興奮して起き出したことが2回か3回かあった。

           1年ほど前、「本巣へ帰る」と言って送っていき、すぐ戻ってきて

           「今日は行っていない」と言うのでもう一度送っていき、

           また戻って もう一度送っていき、暇に任せて5回ほど往復し

           深夜2時半になったことがあった。次日は(正確に言えばその日)

           ちょっと遅めに起きて、翌日からは 普通の 就寝、起床に戻った。

           このことでは 夜昼反転とも言い難い

           昼間、散歩、遊び、買い物、家事、とか疲れるほどやると、夜昼反転は

           起こらない気がする。


    2002.9.29(日)曇り

        −−◎母さんと 喫茶「ひらく」へ。

        −−◎「物置小屋」設置について工事屋さん来る。数日中に見積書が出せるとのこと

        −−◎電源の遮断機(=ブレーカ)と電灯や送出電口(=コンセント)の位置

           について確認し ラベルを貼っておいた。主遮断機の下に分岐遮断機が

           16個あり、どの遮断機が どの部屋または送出電口のものか 

           わかりにくくなっていた。

        −−◎今日は 母さん 朝から何回か「気持ち悪い」と訴えた。

           その状況は 臭い匂いがする 吐き気のような感じがする というもので

           1分か2分すると治ってしまう。

           便秘もしていないし 食事も普通に食べたので原因不明。

           たまにこのように 気持ちが悪い という日がある。

        −−◎それにもめげず 苧ヶ瀬の池へ ドライブ兼散歩。帰りにスーパーで買い物

        −−◎「気持ち悪い」と言うのも1分か2分で納まるので、その他の時は

           機嫌良し。

        −−◎何のことかわからぬが 母さん「それはどうしたらいいか私にもわからん」

           と言った。そのあとで はがきの新しいのが机の上にあるのを見て

           「ここにはがきがあるでいいわ」と言ったり「なんとかなるさ」とも言った。

           別に深刻になっている様子でもなく、ただしゃべっているという感じ

           何のことかわから無かったが いい加減に「うんうん」と返事をしておいた。

           特に何事もなかった。

        −−◎自分が「もっとも適切 妥当で ふさわしい」と思ったことをする。

           母さんは 私から見ると不要なことをいっぱいする。

           要らない物を事務所へ持ってきたり、いま食事の準備をしているのに

           私にあめ玉をくれたり、店のサンダル6足ほどを持ってきて、

           事務所の狭い土間に並べたり、いろいろやる。

           私の自問自答。

           −−何考えているのやろ−−

           −−何も考えちゃいない−−

           −−いや「もっとも適切 妥当で ふさわしい」と思ったことをしているのだ−−

           −−◎娘 友だちと名古屋市美術館へ、「マグリット展」を見物に。


    2002.9.30(月) 曇り

        −−◎ひさしぶりに 朝「恐い恐い」と言った。

        −−◎母さんの 銀行預金通帳に 振り込みや自動引き落としで 未記入の分

          があり、記入してもらって(といってもこのごろでは自動機械で記入するが)

          きた。幸いなことに 母さんの所有意識はしっかりしているので良かった。

           −−◎ケアマネージャーが来てくれて、先日来相談していた10月の計画表について

          確認しハンコを押し提出してもらった。

          デイケアについて、いままでのところとは 別のところを紹介してもらった。

        −−◎その際 ベルパーさんの効用について

          1、少なくともヘルパーさんに来てもらっている時間は、私が2人分の

            行動について 制御しなくても良い

            2、少なくともヘルパーさんに来てもらっている時間は、母さんが 私以外の

            人と接していて、適宜の刺激を受け活性化を図っている。

          ということを話した。

        −−◎ケアマネージャー 連絡ノートの 通信より
           ------------
           -------10月の利用票をお届けしました。10月4日に きよずみさんに

           行ってみることにして..。「遊びにおさそい」の形です。上手に保清の

           お手伝いができるようにしたいと思います。----------
           -------------
          −−◎それより前、母さんに「ケアマネージャーの人がみえるよ」と言ったら

           「誰か知らん」と言っていたが、外で顔を合わせたら笑顔で挨拶し

           中にはいって 楽しそうにしゃべっていた。

           名前で憶えていないけれども、人物としてはしっかり憶えていたようだ

        −−◎3人そろったので おやつ をと思い梨と柿をむ