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ボーリングの成績
若いころ ボーリングが好きで 最近そのおもしろさに揺り戻され

復活 時々ボーリングに行っています。その成績です。
1999年 7月12日..123点
1999年 7月26日..136点
2000年 1月20日..180点
2000年 1月24日..141点
2000年 2月24日..138点
2000年 2月28日..143点
2000年 8月24日..157点
2000年 9月04日..149点
2000年12月04日..136点
2000年10月25日..161点
2001年01月18日..172点
2001年02月18日..162点
2001年03月19日..159点
2001年04月16日..144点
2001年05月10日..139点
2001年05月17日..156点
2001年06月28日..149点
2001年07月31日..139点
2001年08月30日..154点
2001年10月01日..133点
2001年10月22日..160点
2001年11月08日..172点
2002年01月10日..164点
2002年01月17日..132点
2002年01月25日..159点
2002年03月11日..178点
2002年04月23日..150点
2002年05月20日..149点
2002年06月27日..142点
2002年09月18日..140点
2002年11月15日..126点
2003年02月18日..114点
◎。

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介護データ

















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    「昼(夕)ご飯食べていない」と言った時

      「昼ご飯食べていない」と最初に言ったのは、発症(発見)後2年4ヶ月の時だった。

      午後2時30分頃だったか、「昼ご飯まだしお腹空いた」と言った。

      「さっき食べたがね」と私が言うと「食べてないよ! もういい」と言ってお茶を

      がぶ飲みしてそばにあったクッキーかなにかを荒々しく食べて店の方へ行った。

      私があわてて出してあげたおかずと ごはんは食べなかった。

      あとで夕食の後かたずけが終わって、一段落した時 母さんが言った。

      「さっきねー。私がごはん食べようと思ったら、『おまえ 何回ごはん食うんや』って

      怒鳴って 言うんやよ『食べてないから食べてないって言ったんやがね』

      そんなもの2回も食べるかね、ねー」

      私は 「そうだね そんなにたくさん食べられないものね」と言った。

       問題1、普通の時間に食べていたのを忘れていたこと

       問題2、「さっき食べたがね」と言った人が、私とは別人として認識されていたこと

            『おまえ 何回ごはん食うんや』というのは、先ほどはもちろん、古い過去

              でも私から 類推できる イメージでもない。自分の行動を容認する、人

              物と、事実や真実を言って、不快にさせる人物とに、分解したようだ。不快

              にさせる人物の方は、感情増幅されている。

      私がこどものころ、田植え、稲刈り、などの 農作業の忙しい時期に「農繁期休暇」

      というものがあって学校が5日から1週間休みになっていた。その分夏休みやが短く

      なるのだが。私の家は農業をやっていないからね親戚の家へ手伝いに行った。

      そう言う時には何回か食事をする

               8:00朝食

              11:00昼食

               2:00小昼

               4:00乙小昼
             
             夕食

           それで まず食べた後、◇◇◇がおいしかったね、とか ○○○○ はちょっと辛

      かったかな、と印象づけ、食後30分ぐらいの間に、さっき食べたね と何回か言う。

       薬も食べたことを印象付けるように飲ませる。少しは思い出すが、それでも思い出

      さない時は、もう一度用意してあげる。世の中には「小昼」もあるし「乙小昼」もある

      「夜食」だってあるぞ、と言うわけだ。(2001/11/13)

      ◎追記(2002/03/16)
       3年半の全期間を通じて「食べていない」と明確に言ったのは2回しかない。

       そのうち興奮してくってかかったのは1回だけ。







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    一人でいることが出来なくない

       いつごろからか 一人でいることが出来なくなった。私がはっきりと自覚したのは、

      2000/07/12のことだ。病気発見後およそ2年経過後

       夜 家庭教師を 娘といっしょに近くの駅まで送っていった 母さんは早めに寝

      ていたのでそのままにしていったら途中で起きて ひとりぼっちにされているのに

      気づいてたいそう怒っていた。

      なにか紙にメモして、「だまって 外出してしまって....」

      と言うようなことが紙に書いてあった。

      今では、昼間でも家に一人でいることが出来ない。付き添っている以外に、

      方法がない。(2002/03/13現在)







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    徘徊について

      徘徊行動は 早くから発生している

      1,自分の感性的認識が抵抗を受けている時。錯誤認識を訂正された時など

      2,何もやることが無く、退屈でつまらない時。

        自分で近くへ散歩に行ったり、一緒に散歩に行ったりする。

        「どっかへ行こ」と言うので、ドライブに行ったりする。

      3,着替え、歯磨き、風呂など、能力的には出来るが、今やっていないことを

        ひとから 言われ続けた時。

      4,実家の ばっちゃが一人暮らしで大変だから、見てこなくてはならない と思う時。

      5,どこかへ出かけた時、付添人を見失った時に探していて道に迷う。

      6,あからさまに ばかにされたり、嘲笑された時。

      7,朝起きた時の 私の顔が 母さんに 「不機嫌である」と見えた時。

        健康時ならば、日常生活の他の側面との整合性を測りながら、外出したりする

       整合性を保ち得ないで外出する時もあるがそれは希である。

       病気になってからは、「外出」を日常的にする。

        遠くの場合は目的地へ行くと言う意志があり、近くだったら

       行って戻って来るという意志がある。タクシーですぐ近くまで行っているのに

       家の場所を説明できず、到達できなかったり、散歩して戻るつもりだったが、

       帰り道がわからなくなったりしている。

       行き先は 告げる時と告げない時がある。言ったことを止められたり、

       ばかにされたり、怒られたりすると言わなくなる。言っても言わなくても

       徘徊と名付けられる行動には変わりない。

        やがて自らの意思表示が出来なくなるかも知れないことを不憫に思い、

       外界の条件が許す限り、一緒に連れていってやっている。

       私に時間を切られた仕事がある時は「あとで」と言って待たせるが、

       約束は守って あとで連れて行ってやる。大雨とか深夜とか、

       自然的条件が悪い時は行かない。(2002/03/16)

       ※※追記↓(2003/07/12追記) 

       最近では外出したがる時「どこへ行く」と言わないことが多くなった。

       「どこへ行く」と言えないが「行かなければならない」との気持ちに駆り立てられている

       ようだ。 58歳体力は衰えていない。仕事は出来なくなって何もしていない。

       しかし神経深部(古い神経系)の要求は生命伸張のため、運動能力や体力の保持、

       知的能力(低次ではあるが)の保持、有り余るエネルギーの発散のため

       「歩く」ことを要求している。

       ※※追記↓(2003/11/6追記) 

       まわりへの探索志向

       このごろの散歩では、飛行機、散歩中の犬、親子連れの幼児、空き缶などのゴミ、

       変わった鳥や虫、きれいな花、よそのお宅で庭木に作られている果樹、りんご、みかん、

       柿、畑の作物 などに関心を示している。



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    夜昼反転について(2003.11.12記)

      夜昼反転は2003年1月中頃から3月はじめまであった。(病気発見後4年5ヶ月のころ)

      状況は夜9時頃就寝後、深夜1時頃起き出して、店(=今は母さんの居室)でタオルをたたんだり

      のばしたりしていた。

      起き出す時刻は12時頃、から 5時ころまでまばらであった。5時頃の時は、「睡眠時間は確保された」

      物として、放っておいた。

      3時30分より前の時刻である時には 再度寝るように工作したが、結果は1時間後に寝たり、2時間後、

      3時間後になるなど付いているのに疲れてこちらが睡眠不足になった。

      医者に、睡眠薬 または 催眠薬の処方を頼んだが

      医者は「睡眠薬は癖になってずーと続けなければならなくなるし、量も増やしていくことになる。

       アルツハイマー病の場合、病気を促進するおそれもある。それよりも昼間の運動とか、散歩を

       どんどんやった方がよい。じーと座っていることがあるかも知れないが、若年性アルツハイマー病

       の場合で特に他の内臓疾患が無い人の場合、疲れて座っているわけではなく、

       次に何をしたらよいかわからないので座っている場合が多い。興味や関心のありそうなことを

       促すといっしょに動くことが多い」(田口の意訳)とのことであった。

       その後私は“散歩”に対する考えを大きく変えた。

       その際この医者の助言の他、斎藤さんの介護(奥さんが発病後18年になるが、キチッと歩いて

       散歩しておられる)の経験も参考になった。

       それまで散歩というと、外出の気を紛らすため、家の周辺を100mから500m歩いて、母さんの

       気をそらしていたが、散歩を治療課題として位置付け、1日10Kmを目標として散歩時間をとる

       ことにした。朝の散歩コースは2.2Kmにのばし、適当な公園を探してみたりして順次距離を

       伸ばしていくことにした。

       そんな矢先、加藤さん(ご主人がこの病気)と言う方から、別の公園のコースを紹介して

       もらったりした。  もう一つは就寝時を10時を基準とした。

         その後夜昼反転は 夜起きるには起きるが「もう少し寝ているよう」促すと起きている時間が

       短くなり、そのうち深夜には起きなくなり、4時とか5時に起きていたが、4月以後は夜起き

       はしなくなった。(2003.11.12記)





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    「行方不明」の予防(2003.11.18記)

      ここで言う「行方不明」とは、黙って外出し、結果的に1時間以上、連絡が付かなかった時

       のことを言う。

       発病後2年間は行方不明になったことはなかった。

       2年経過後3年まで、

       自宅を出発点としての間に一時行方不明になったことは2回あった。2回とも午前中のことで

       私が探しに行き、自宅から3Kmのところで見つかった。

       3年経過後4年まで、

       私の仕事につて行き、車の中で10分くらい待たせている時に 私がいなくなったと思い

       母さんは車から降りて歩き出しいなくなった。警察へ捜索願を出した。タクシーに乗って11Km

       ほどのところへ行ったが、行き先を運転手に説明できず、タクシーの運転手が現地の警察へ

       連れてきてくれた。

       3年経過後4年まで、

       やはり私の仕事につて行き、車の中で待たせている時にいなくなった。このときも警察へ捜索

       願を出した。このときは1時間30分後道路を歩いているところを私が発見した。道路の進路は

       大まかに言えば、自宅の方向へ歩いていたので、道がわかっていたのかも知れない。

       4年経過後5年まで(2002.8〜2003.8)のあいだでは、

       2003.6.30に、朝私が家事をしている間に7時頃いなくなった。10分後に気が付いて自転車

       で近くを廻ったが見つからず一旦家に戻り、もう少し遠方まで足を伸ばしていた。8時20分

       ころ、携帯電話が鳴り、偶然に、我が家へ来てくれているヘルパーさんが事業所への出勤途中

       に発見してくれて「これからお連れしていきます」との連絡があった。

       ◇対応

        ○2年経過後3年までは、母さんが外に出るとだいたい100mくらいで戻ってくる、200mより

        先に行った時(時間経過でわかる)は私が探しに行き、そのまま散歩したり、連れ戻したりした。

        ○私の仕事に付いて行き、行方不明になった理由は、「お父さんがどっかへ行ってまった」と

        思ったのが原因だったので、相手先事務所へいっしょに連れてはいるようにして解決した。

        ○2003.6.30“事件”以後は、衣服(ブラウス、スボン、上着)に名札をつけることにした。

        名札には 本人の氏名、住所、電話番号、私の携帯電話番号を記し、上着は背中にスボンは

        後ろ側ベルト下に布地に油性ペンで書いて縫いつけてもらった。「もらった」というのは針仕

        事に不得意なので、ヘルパーさんに持ち帰ってもらって、業務としては作業点数にならない

        仕事をしてもらったわけだ。

        ○我が家は3面に道路があり、出入りできる戸口は4ヶ所ある。2ヶ所は施錠してある。

        母さんの元は店だったところと(=今は母さんの居室) 私の事務所に通常出入り口がある。

        2003.6.30 以来 母さんの元店のシャッターは閉めて、人が来た時だけ開けることに

        している。簡単に手で押し上げることが出来るが、母さんは「重いので開かない」と思って

        いる。外の光景は別の側面の窓から見ることが出来る。

        私も家の中にいるし、いまのところ問題は起こっていない。

        事務所は私が台所などにいる時は施錠している。(私の得意先の人が事務所に立ち

        寄ることは希で、電話での処理や 私が相手先に出向いて仕事をしているため)

        ○こうして無断外出は皆無になった。気分のおもむくままに母さんが外へ出ることは出来ない

        が、1日に3回散歩(5.5Km)に連れて行き、ブラスαの散歩、そのほかに買い物や所用で

        外出し歩行には努めている。

        ○幸いとこれまでのところ、行方不明の結果起こる重大事故(例、交通事故、一晩野外で過

        ごす、雨雪でずぶ濡れ)はなかった。









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    異食について

      2003.4.9(水) 晴れ