発 端 経 過 Yasu32 最初に戻る .... 詳しい経過

 
No1↓ ちょっと 変と思ったこと............98, 8
No2↓ 「少し休養すれば直るよ」といわれて安心.98, 9
No3↓  「でもおかしい」 と思ったこと........ 98,10
No4↓  「神経科」では.................98,11
No5↓  「様子を見てみましょうね」..........99. 2
No6↓  精神病院へも診察に.............99. 3
No7↓  暗中模索の時.................99. 5〜6
No8↓  浜松医療センターのこと...........99, 6
No9↓  金子満雄先生の診察と生活指導 .....99, 6
No10↓ PETスキャン(ポジトロン
 エミッション トモグラフィー ..............99, 8
No11↓ 7〜8年は持つでしょう ........... 99,11
No12↓  ..今までの簡潔な経過
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ちょっと 変と思ったこと

 8月(1998年8月)中頃の暑い日のことだった。美容院へ来るお客さんが

大学病院へ入院したというので母さんと私と一緒にお見舞いに出かけた。私

が、「病室はどの部屋なの」 と聞くと 母さんは

「私 大学病院って 初めて来たもんで どこやわからへん」と言った。私は 

「だって去年 ばっちゃ(母さんの母親)が入院したとき来たし ○○さんが

入院したときも見舞いに来たがね」 と言ったがピンとこない様子だった。

 そのお客さんについては 病院の受付で尋ねて お見舞いはすませてきた。

 何かちょっと調子がおかしいとはっきり感じたのはその時だった。偶然か

その後一週間ぐらい後のこと ある新聞の読者のページに「妻が痴呆症に」

という記事か出ていて「最初は気にならないくらいの変調だった」と書いて

あったのを見て とても気がかりになった。(妻53歳と10ヶ月)
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「少し休養すれば直るよ」といわれて安心

 よく頭痛がして「疲れる」と言うので華陽診療所へ診察してもらいに行きかぜ薬

をもらってきた。(8月末) 物忘れなどでも相談して 県立病院への紹介状を書い

てもらった。

 県立病院では始め神経内科に掛かり 頭のレントゲン写真、断層写真で診察

してもらった。(9月中ごろ)

 交通事故 火災 遭難 その他 体や心に傷を受けることはなかったか?

 精神的ショックを受けるようなことはなかったか?

 仕事や家族関係の中で緊張 ストレス強まることはなかったか?

 と尋ねられたが 近々そのようなことはなかった。

 「外傷や 細菌による炎症などは見られずきれいなものですよ。その程度の

物忘れはよくあることです。メモをとっておいて活用したり、仕事も大事だけれ

ども仕事を控えめにして、休養の時間を取り、かんばって行けば大丈夫ですよ。」

 といわれて安心し 美容院の仕事もひかえめにして休息も取れるようにして

2ヵ月ほどすぎた。(1998年8月から11月まで)
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「でもおかしい」 と思ったこと

 「でもおかしい」 と思った。と言うのも、その間にも物忘れの傾向がわずかに

進んだように見られた。

 不安の塊が頭をもたげてきて、「どこかに原因をしっかりつかんでくれる病院は

ないか」と思い悩む 日々が続いた。どこと言う病院もわからないので同じ県立病

院の神経科(県立病院には精神科がないので精神科相当の科である)に診察に

行った。

 神経内科の診断(「 大丈夫ですよ。」)は妥当なところであった。痴呆症であっても

きわめて初期の段階では 他の原因の物忘れと識別するのは むつかしいからだ。

そして他の原因である場合には、休養をして体調を整えれば直っていったり、

その原因特有の症状があらわれたりして、治療の方向が出てくるからです。

. それに 一般に患者や家族に対して、励ましをするのが医者の役割の一部

だろうから・・・・ (1998年11月)


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「神経科」では......

  . 神経科でも

 交通事故 火災 遭難 その他 体や心に傷を受けることはなかったか?

 精神的ショックを受けるようなことはなかったか?

 仕事や家族関係の中で緊張 ストレス強まることはなかったか?

 と尋ねられた。

 超音波のMR I 断層写真で診察してもらったが「外傷」「萎縮」などは見ら

れないとのことだった。

 神経科の3回目の診察の時に(1998年12月)MMSテストが24点

でした。

 原因は何か 何の病気か 私には わからなかったのが その時

の現状だった。

「リハビリテイーション室で検査をしてみましょう」と医師の先生から

言われるので1998年12月から1999年2月まで

週一回 30分 10回 リハビリ室で 何かをやってもらってきた。

 「付き添いの方は ココで待っていてください」ということだったので別の

ところで待っていて どんなことをしてもらったのか わからない。

5〜6回過ぎたあたりで 母さんが

「あんな幼稚園みたいなこと何の訓練にもならないし面白くもない」

と言っていた。

 察するに本人が「訓練をしている」と思うことが行われていたらしい。

 私が思うには その何かを始める時まで 付き添いが付き添っていて

「じゃ やってみてね」とか言って 席を離れる

のがよいと思う。

 2月になってその何かが一通り終わって 尋ねたが病名や

原因についての所見はなかった。

 私は「ボケでしょうか」と聞いた。先生はことばをにごしながら

「その傾向はあるようですね」と言われた。

 「2ヶ月くらい仕事を休業してみたら・・そして 様子を見てみましょう 」

とも言われた。

※MMS=(Mini-Mental State)=ミニ メンタル ステイト

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「様子を見てみましょうね」..

  .「様子を見てみましょうね」。私はこの答えに不満であった。「様子を見て」

いる間にどんどん悪くなってしまったらどうするのだ。母さんの頭の中はどう

なっているのだ とか どういう環境が必要かとか 本人に何をさせるかあるいは

何をさせないか 食べ物は 薬は とか わからないことばかりだった。少しでも

知りたいと思った。  しかし

. 私は「ボケでしょうか」と言う質問したが ボケ の意味については少し

しか知っていなかった。

. いなかで育っていた 子供のころのことだった。 となりの集落のじい

さんが あちこち歩き回る癖がある、そのうちに川に落ちて亡くなられたと

聞いた。ボケていたそうな とも聞いた。じいさん本人や ご家族のことなど

想像もしていなかった。その程度の意味理解での質問だった。

 その程度の理解の私に「仮に アルツハイマー病であるとしたら ・・・・」として

 ボケの種類や、病気の進行度合いによって 本人が注意すること 家族が心が

けること 薬や 施設まで 説明することは諸般の事情から困難であったかも

知れない。

今後発生する患者には制度として 説明する機会を作っていってほしいと思う。

(1998年11月から1999年2月まで)

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精神病院へも診察に.....

  .精神病院がどういう病院かも知らず 精神病院へも診察を受けに行きました。

「診察」ではなく「医療相談」として院長先生の話を聞くことが出来ました。

. ボケが治らないとする先生方と 治るという先生方と分かれています。

日本では直らないと言う先生方が主流ですから県立病院の先生もその立場

でしょう。私もその立場です。「何とかしてあげたい」というお気持ちも強

いでしょうから そういう病院を探しておいでになるのも一方法でしょう


わからないことばかりの状態だったのに 少しずつわかりかけてきた。

 感謝をして 病院を出た。

「悪くなってしまってからでは何とも出来ない」と言うことを前々から

聞いていたので何とかしなければと言う気持ちが強くあった。

病名はわからないが 物忘れをする。 計算に弱くなった。ということはある。

 どうしてこんなふうになったのか (1999年3月)

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暗中模索の時..

. まだ軽い内に何とかしなければ..と思うばかりで行動できないまま時は過ぎ

ていってしまう。本屋さんで、数冊の本を買ってきた。その中に「ボケは防げる

治せる」(金子満雄・浜松医療センター)と言う本があった。

. ボケは大きく分けて アルツハイマー病と 生活習慣病としての老人ボケが

ある。また記憶障害は様々な状況によって起こってくる。ということがわかった。

何にしても 私としては 母さんの「物忘れ」がどういう病気によって、起こって

いるかつかまねばならなかった。1999年6月になって浜松医療センター(病院)

の「高齢者脳精密検査科外来」へ電話をかけた。

. 「普通診察は3ヶ月前の予約となっおりますが 初めての方でご心配でしょう

から 6月中に日にちをとります。ただ時間が午後4時か5時ごろになるのですが

よろしいでしょうか」と言われた。私としては 時間のことなど問題ではなかった

ので「はい よろしいです」と言って相談の結果6月28日に診察を受けに行くこ

とになった。(1999年6月15日)

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浜松医療センターのこと
6月28日

浜松医療センターへは正午前に着いた。病気の本題とはあまり関

係ないが病院の印象について書く、浜松医療センターへ着いて、玄関にある『総合

受付』とも言うべきところで、氏名を言って 来院の趣旨を告げ「どこへ行ったらい

いでしょうか?」と尋ねた。「はい 少しお待ちください。」と「科」の方へ電話をし

てくれて「受付の初診受け付けのところへお出でください」と言われた。「えーっと」

私がそれはどこにあるか聞こうとすると フロアの方にいた女性の係りのかたが

「こちらへ一緒に来てください」と案内してくれて、「予診カード」のような用紙の書き

方まで教えてくれて・書き終えてから、「ここへ用紙を出して少しお待ちください」

と 『総合受付』の方へ去って行かれた。椅子にかけると 母さんが「トイレはどこ

やろ」と言うので 立ち上がって周りの表示をキョロキョロ見回した。ちょっと表示

が見あたらなかったので 女性の係りのかたに聞くと「こちらへどうぞ」と言って 

母さんをトイレまで連れて行ってくれた。やがて受付がすむと、やはり係りの女性

のかたが「高齢者脳精密検査科外来」まで案内していってくれた。診察室の配置

が四角形の周の外側にある感じで 普通あるように一本の廊下に沿って診察室

が並んでいるふうとは違っていた。待合いのイスのまとまりが数カ所あって各々

はかなりの距離が保たれていた。職員の人や診察にきた人がたくさんいるのに静

かだなと思った。呼び出しのためにスピーカーが使われていなかった。

. 「女性の係りの人」は ボランティア活動でやっおられるとのことだった。

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金子満雄先生の診察と生活指導

先生の診察の前に面接検査があった。MMSテスト 仮名拾いテスト

 ほかに動物の名前、花の名前を言うテスト。

「美容院をやっている人でここに来られる人が多いですよ

楽しいと思うことをやってください

トランプとか 花札囲碁や将棋もいいですね

花作り とかね 

可愛いものを 可愛いと思う気持ちのある人 こういう人は長持ちします」

1@PETスキャン(ポジトロン エミッション トモグラフィー)

2A脳機能テスト

3B記憶テスト

「PETスキャンというのは30億円ぐらいする機械で 人体への副作用

の少ないアイソトープを使って脳の酸素やグルコースの様子を観察して脳の

内部の活動状態をみるものです いままでのCTやMRIではわからなかっ

たことがわかります。2泊3日入院してもらって検査をすれば病気がわかり

ます。

ボケ と言われる病気は生活習慣病の人がほとんどです。遺伝子によって起

こってくるアルツハイマー病はボケの内の1%程度です。3年ないし4年で

動けなくなる場合が多い。」

そして次のようなプリントをもらった。


脳 の リ ハ ビ リ


   脳を活発にして、楽しく健康に暮らす秘訣

生活上の注意

  1,生きがい 趣味のある積極的な生活をしましょう・

  2,老若男女の交友の機会をふやしましょう

  3,毎日一定の仕事を必すやりましょう●

  4,毎日定朋的な肉体運動をしましょう.

  5,日記をつけましょう.

  6,外出、旅行は進んでしましょう.

 右脳刺激訓練の例

  1,音楽;聴く、弾<、歌う、リズムをとる。

  2,絵画;描く、眺める、鑑賞する.

  3,ゲーム類;囲碁、将棋 麻雀、花札 オセロゲーム トランブ

    パチンコ ジグソウパズルなど.

  4,矩歌、併句、川柳など.

  5,スポーツ;ゲートポール、テニス、水泳、ダンス、

    ビリヤード スポーツ観戦など.

  6, 犬、猫、小鳥、金魚などの飼育.

  7,株、ポートレース、オートレース、競馬など.

  8,茶道、華道、書道など.

  9,刺繍、織物、編み物、裁縫、手芸など.

 10,園芸、盆栽、野菜作り.      ■

 11, 男女交際、旅行、・湯治など.・

 12,お経を唱え、覚える.写経.

 13, 日曜大工、陶磁器作り、彫物、竹細工など.

脳 の リ ハ ビ リ 浜松医療センター  高齢者脳精検



. プリントの 「生活上の注意」 について ひとつずつ 例を出して説明

してくれた。

「仕事をやっておられるなら、無理の無いように続けてください。そして仕事もいい

けれども、自分が楽しいと思うことをやってください。お散歩するとか。散歩は一回

5000歩程度。肉体運動も定期的にやれればいいですね。趣味の集まりなどに出て

交友の機会を多く持つ 外出や旅行も゛出来る限りやった方がいいですね。日記など

書くのもいいですね。趣味では 仲間とともに音楽を聴いたり歌ったり、花札やトラ

ンプ、五目並べ、花を育てたり、小動物を飼う、そのほかココに書いてあるようなこ

とで出来るものがあればやってみる。」

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PETスキャン(ポジトロン
 エミッション トモグラフィー)

(1999年8月16日)今日から3日間入院検査することになった。私が母さんの

物忘れを 最初に感じたときからちょうど1年たった。

. 午前中に 浜松医療センターに着いた。 明るい西と北に窓のある個室に案内

された。PETスキャンの検査をするための体調の検査 血圧とか 心電図 採

血してその他の機能の検査がされた。色 形 音 手足の反応の検査が 休憩し

ながら行われた。夕食後はもう何もなかったので二人で病院の周りを散歩してき

た。緩やかな傾斜地に住宅街が広がっていた。

.翌17日には朝8時半に金子先生が来られて検査についてのあらましの説明が

あった。9時からPETスキャンの機械のある分院のようなところへ行った。北

へ13qと少しの三方原あり 車で30分ほどのところにあった。

 少し小休憩してから 検査が始まりほぼ午前中かかった。小休憩の畳4畳ぐら

いの小さな部屋はそのまま付き添い人の待機室でもあった。素人(つまり私は)は

次のような配慮に感動する。

. 窓の外は芝生の広場があり、その向こう側には燃えるみどりの木々、ポット

にはお湯が沸いていて、小包のインスタント緑茶 紅茶 コーヒー と紙コップ

があり「お好みのをお選びください」とあった。週刊誌 グラフ雑誌 外国語の

グラフ雑誌なとがあった。テレビもあった。1時間半ばかり待っていた。看護婦

さんが「ご主人奥さんが呼んでおられるので」と呼びに来られた。

そばに行くと「お父さん」と言うから「もう少しだから辛抱しとってね」と言って

空いている方の手を取ってやった。一人になってもの寂しくなったのだろう。

. 機械の見かけはMRIと同じだった。「終わるまでおってやってください」と

言われそのままいた。コインランドリーの乾燥機のような穴の中へ頭から上半身が

すーと入っていく。今度はその乾燥機のようなものが静かにに動いた。少しして顔

が穴からスーと出てきた。母さんは私の手をキューとつかんで「注射のとこが痛い、

トイレに行きたい」と言った。そう言ったことは係りのお医者さんにも聞こえてい

て「もうすぐ終わりますから」

 医療センターへ戻ってきて昼食後休憩してから いろいろの脳機能テストがあった。

 3日目母さんと私と一緒に病室で診断を聞いた。「色彩と形についての感覚は優

れています。初めておいでの時にも言いましたが自分が楽しいと思うことをやって

ください。絵を描くとか、。花を育てたり お散歩するとか スポーツをやる。 

仲間の人たちと何かやるということ、旅行に行きたいなら旅行も行ってください。」

 私だけ診察室の方へ呼ばれた。

 「若年性アルツハイマーです。PETの検査で不活発な部分が見られます。機

能検査では計算能力やその他に機能が低下していることが見られます。今まで普

通に働き普通に生活してこられた。ことから言えることです。アルツハイマー病は 

リハビリや生活の改善などいろいろ 努力しても病気は進行して3〜〜4年で寝

たきりになることが多い。本人がやりたいと言うことを手助けしてやってあげて

ください。薬はほとんど効果がありません。副作用はあります。何か別の薬をお

望みですか 」

「いえ」

. いままで先生の会話と違って低いトーンで言われた。私は先生の言われなか

った今後の方針についての言葉を自分で心の中で補った。「本人の望むことや 

先日もらった(生活上の注意)のプリントに書いてあるような 良いと言われる

ことは本人の気持ちも聞いて何でもやってあげる。健康である状態(自分の意思

表示と自分の行動が出来る状態)が1年、でも2年でも先に延びるよう見守って

いくこと」

金子先生は「それでは..大変ですが.....」

 病院の昼食を食べてから退院して帰ってきた。

※↓PETスキャン(ポジトロン エミッション トモグラフィーについては以下を参照↓

                                           http://www.nirs.go.jp/report/nirs_news/9707/hik1p.html

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7〜8年は持つでしょう

1999年11月の金子先生の診察では「最初からの経過から見て7〜8年は

持つでしょう」と言われた。7〜8年と言うのは死亡する意味ではなくて

歩行が出来て何らかの意思表示ができる状態を気持ちが生きている状態を指す



















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今までの簡潔な経過 

1998年8月(年齢53歳10ヶ月〜、)発見した時

1998年8月

(発見後0年0ヶ月

53歳10ヶ月)

から

 

 

 

 

 

1998年12月

 

物忘れがあることに気づき初めて病院にかかる

 

☆夜就寝前 指輪・ネックレスなどアクセサリーを探す

 

☆時におつりの☆計算が出来ない

 

☆「料金をもらっていない」という

 

☆夕方外から帰ってくると時々夕食が作ってないこと

があった。

   1998年8月を発病した時としてこのホームページ

全体の話を進めています

華陽診療所

・岐阜県立病院

MR I検査などで異常なし

98年10月 MMS=25点

   (異常とも言えない)

「様子を見る」ことにした。

 

←これら症状が毎日あったわけではありません

 

 

1999年(年齢54歳〜、発病後5ヶ月〜)

1999年1月

(発見後0年5ヶ月

.54歳3ヶ月

から

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1999年7月

 

 

 

 

☆空想したこと(現実にはないこと)を 実際あったことと

してしゃべる。

☆たまに日付を間違えて、「店を開けようか」というと

今日は定休日だと言って怒る

 

☆時々頭が痛いことがある

 

☆他人を避ける傾向が出てきた。

 

☆朝食を作らなくなった。

1999年5月

☆財布、少しずつお金を入れて、4個も5個も持ってい

 る。そのどれかがないと言っては探す。一緒に探すと

 どこかにあった。「盗られた」とは言ったことはない。

 

☆「どうしてこんなふうになっしまったんだろう」と

 私に言う。時に泣いて訴えることもある。その返事は

 出きなかった。

 

☆朝涼しいときに「寒い寒い」と言う。体温を計ったが

普通だった

 

☆朝 吐き気がすることあり

 

☆朝起きて「体がえらい(苦しい)」と言う。

 

99年2月  MMS=24点

・岐阜県立病院で診察を継続

 

1999年28日 

  岐阜県立病院で

 痴呆性疾患疑い有り診断 

 

 

 

 

1999年6月28日

☆浜松医療センターへはじめて

いった。

 8月の検査予約をした。

99年6月 MMS=22点

 

99年7月12日

 このころより月1回または3回

ボーリンク場へ行きゲームをする

 

朝・夕 状況を見て散歩

1999年8月

(発見後1年0ヶ月

.54歳10ヶ月

から

1999年12月

 

 

 

1999年8月21日

☆朝起きた時 全身にしびれを感じると訴える。

1999年8月22日

☆朝 全身にしびれ、「小児麻痺みたいになるー」と

訴えた。「計算が出来なくなるー」とも訴えた。

 

☆このころは、前記の症状・現象が出ていたが日常生

活・店の営業は継続していた。

 

1999年8月

☆浜松医療センターへ入院し検査

99年8月 MMS=22点

@PETスキャン
2A脳機能テスト
3B記憶テスト

若年アルツハイマー病と診断

 

99年11月 MMS=22点

 

2000年(年齢55歳〜、発病後1年5ヶ月〜)

2000年1月

 

(発見後1年5ヶ月

.55歳3ヶ月

から

 

2000年7月

 

☆近所に住む実の姉ところへ、タンス預金の持ち金を

朝や夜持っていって預けたり、返してもらったりしてい

た。預けたことをほんとに忘れてしまって、「あの紙の

袋がない」といったりした

☆財布と金庫の管理を私がやってあげることにしたら問題は起こらなくなった。

☆朝、目を見開いて、天井の方を見てうなされた。

 

2000年2月 MMS=21点

 

2000年7月

岐阜県立病院で

女性ホルモン注射月1回 開始

ツムラ23開始

 

 

みどり病院で診察

2000年8月

(発見後2年0ヶ月

.55歳10ヶ月

から

 

 

 

 

 

 

2000年12月まで

 

☆朝起きて「私どうしてここにおるのやろ」と言った。

☆別の日。「あんた誰?」と追い出される。少しして戻る

と「お父さんどこへいっとったの? いま恐かったよ」

 

2000年10月21日

☆朝に吐き気、むかつきが起こり、1週間ほど続き、

正月過ぎまでかかって徐々に引いていった。

(偶然と思うが佐藤早苗氏の記録と同じだった。)

☆☆

2000年8月 MMS=19点

2000年8月24日 みどり病院で

アリセプト開始 

ツムラ137開始

他に コレステロールを下げる薬

 

お絵かき をリハビリとして開始

ボーリンクは継続中

朝夕の散歩時々さぼっては継続中

2001年(年齢56歳〜、発病後2年5ヶ月〜)

2001年1月

 

(発見後2年6ヶ月

.56歳4ヶ月

から

 

2001年4月まで

☆いろいろあるが不思議なことに、外の人に向かうと

シャキとしてボロを出さないことだ

 

 

2001年2月 MMS=19点

薬は継続

リハビリのお絵かき 継続中

ボーリンクは継続中

朝夕の散歩は継続中

2001年4月から

 

2001年5月1日

 (発見後2年8ヶ月

.56歳6ヶ月)

 

 

 

 

 

美容院の営業は週4日(後の3日は休み)、お客さんは

1日1人〜2人、0人の日もある。3人ある日はまれ。

ご近所のおばあさんが中心。最近、2ヶ月に1回ほど来てくれるおばあさんが「あんたんとこへ来ると あんき 

やもの」と言っていた。

「あんき」= 安心できる= 安らぐ= アットホーム= ほっ

こりする。

 

徘徊も時々する。10分か20分すると「散歩してきた」

言って戻ってくる。

何もしていないとジーと固まってしまって、空想が走り

出す。実際にやることは何でもやれる、号令を出すとこ

ろが弱ってきている。それで私が指示して母さん一人

でまたは私と一緒に食事の用意、洗濯、そうじ、などし

ている。一次号令を出すところは弱化しても、2次号令

を出し実行するところは弱化していないということだろ

う。

☆☆☆☆☆

2001年5月1日

浜松医療センター 6ヶ月に1回

岐阜県立病院

 

薬は

女性ホルモン注射月1回

ツムラ23

アリセプト 

ツムラ137   臓器の障害は今

のところ無い。

他に コレステロールを下げる薬

リハビリとして お絵かき

ボーリンク  朝夕の散歩

プランタで花を育てる

 

 

 

 

 

 

 

2001年5月1日

 (発見後2年8ヶ月

.56歳6ヶ月)から

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2001年8月1日

(発見後3年0ヶ月

.56歳10ヶ月)

から

 

 

美容院の営業は週4日(後の3日は休み)、お客さんは

1日0人〜3人、週10人程度

洗濯====私と一緒にやる。だいたいできる

炊事====皮むきや材料を着る程度、火を扱うのは ダメ

食品の買い物=私と一緒に行く。

風呂====いやがるが、夏になってからは1日置き、

または2日置き、または3日置いて はいる。

食事====「食べていない」と言って食べたこと4〜5

回あり

気分====普段穏やかだが、まれに 月1回ぐらい

ヒステリックになることあり。

徘徊====居心地が悪いとふと家出する。私が付い

ていくので問題は発生していない。

物覚え===昨日のことで、覚えていることと、忘れて

いることがある。

2001年8月7日

浜松医療センターで診察

 MMS=19点

薬は

女性ホルモン注射月1回

ツムラ23

アリセプト 

ツムラ137

他に コレステロールを下げる薬

リハビリとして

 お絵かき

ボーリンク

朝夕の散歩

1日1時間のドライブ

金子先生の助言

「MMSの点数は1年間下がっていないのでボーリングとか三歩1時間など 継続するように。仮名拾いテストはかなり混乱しているので、社会性のある仕事は出来なくなってきている」

 

2001年12月31日

(発見後3年5ヶ月

.57歳3ヶ月まで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

美容院の営業は 2001年12月2日から休業した。

お客さんには、ご案内をしたが、本人が熱出して寝

ているわけではないので、たっての頼みで、週二人

ぐらい仕事をした。

 

洗濯===私と一緒にやる。だいたいできる

炊事===皮むきや材料を着る程度、火を扱うのは ダメ

風呂====いやがる。

食事====「食べていない」とたまに言う、ので必要に応じて用意してあげる。食べ過ぎに注意していないと、腹をこわすことあり。

徘徊====居心地が悪いとふと家出する。寒いのであまり遠くへは行かず問題は発生していない。

物覚え===30分前のことでも覚えていないことが多くなった。昨日のことでは心に響くことがあったことは、覚えている 。 

身の回りのこと===衣服 食べる トイレ 歯磨きその他 風呂以外のことは、自分でできる。

おとなしい性格は==基本的に変わっていない。  

空想または錯誤認識==「事実でない」と指摘すると

     認識を訂正することと、しないこととがある。

訂正に同意するが、結果的に訂正していない

ことなどがある

 

2001年12月31日

 

 

         2002(年齢57歳〜、発病後3年5ヶ月〜)

 

2002年1月1日

 

 

 

 

(発見後3年5ヶ月

.57歳3ヶ月から

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2002年4月1日

(発見後3年8ヶ月

.57歳6ヶ月まで

 

 

 

 

 

美容院の営業は休業しているが、特別親しい人のみ、

カットだけやっている。1ヶ月で数名のみ。

あとはぶらぶらしている。

散歩、ボーリング、私の仕事に付いていく、ことなど。

いくつかの病気による行動は引き続きある。

この間、風呂に入りたがらないので苦労した。

 

2002年4月13日の現況

出来なくなったこと

☆1日や一週間の計画が立てられない

☆動作が遅くなった。

☆同じ事を繰り返し話す

☆私が働きかけをしないとボンヤリしていることが多い

☆根気がない

☆発想が乏しく画一的である

☆季節や月はわかるが日付があいまいになる

☆料理は果物の皮むきや野菜を切ることが出来る程度

☆ガスの消し忘れが多くなったので火を扱わせない

☆身だしなみは一応気を使ってはいるがかなり無頓着

☆薬の管理は私がやり一回一回出してあげている

☆昨日のことも今日のこともすっかり忘れてしまう

☆お金や持ち物をしまい忘れ置き忘れがある。「盗られた」と言ったことはない。

☆簡単な計算が出来ない。

☆汚れた下着をそのまま着ている。

☆風呂をいやがってはいらない

☆☆たまにあること

☆たまに食事をしたことを忘れたり、食べていないのに食べたと言ったりする。

☆無表情、話しかけても返事をしないことがある。

☆行動に結びつくような会話は私以外には出来ない。

☆衣服は 大まかに言えば季節にあって居るが変化に対応できない

☆家族の数や関係がわからなくなることがたまにある

出来ることなど

☆花の手入れ、水やり、ボーリングなどはやろうとする。

「旅行に行きたい」「ドライブに行こう」と言う。

☆洗濯物のかたづけ、食器のかたづけは不充分だが出来る

☆衣服は指図すれば自分で着ることが出来る。

☆独り言を言うことはない

☆1年目くらいに、人まちがいをしたが今はない。

☆見えないものが見えたり、居ないのに「誰か居る」と言うことはない

☆歩行、大小便に問題はない。

2002年2月8日

介護保険認定申請

2002年3月20日

介護保険保険証もらう

 

 

 

2002年4月1日

から

2002年12月1日(発見後4年4ヶ月

.58歳2ヶ月まで)

 

 

 

 

 

2003年(年齢58歳〜、発病後4年5ヶ月〜)

 

2003年1月1日から

 

 

 

2003年4月1日(発見後4年8ヶ月

.58歳6ヶ月まで)

 

1月半ば過ぎ頃から”夜起き”をして 1時間とか3時間ほど、店でうろうろしている。

昼間散歩で4Kmから8Kmほど歩いて歩行療法をしていたところ3月20日頃から”夜起き”はしなくなった。
○昼間は 私は事務所に 母さんは店(今は母さんの城になっている)にいるが、1分か2分おきに 私のほうをのぞき「ねぇーねぇー」とか「おっちゃん おっちゃん」 とか言って 私に呼びかける。

○トイレに何回もいく。

○「寒い寒い」と言い、夕方になると「恐い恐い」と言う。

○家事などはほとんど出来なくなった.自身の身の回りのことも 食べること トイレ以外は難しくなってきている。

○「寒い寒い」と言うわりには風邪を引いたことはない。

 

 

 

2003年4月1日

から

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2003年12月31日(発見後5年4ヶ月

.59歳2ヶ月まで)

 

 

出来なくなったことは2002年4月13日の現況

同じであるが その他のことで変化したことは

☆☆たまにあること

食事=食事は充分に供給されているので“食べた”

“食べない”の紛争はない。

夜起き=4月以後は一回もない。

無表情=話しかけても返事をしないことはあるにはあるが今年1月−2月ころと、くらべると頻度、継続時間は少ない。

会話=行動に結びつくような会話は私以外には出来なかったが、4月以後の観察では娘やヘルパーさんの

言うことに従うこともある。

記憶=「今日どこへ行ったか」忘れてしまう。これが

通常だが、新しい事象でも感性的記憶として保持

されていることがある。くりかえし20回以上言ったことは

記憶していることがある

家族について=3月以前に家族の数や関係がわからなくなることがたまにあったが 頻度は少なく訂正して

やると「そんなことはあたりまえや」と笑い顔で応え

問題は発生しない。

 

出来ることなど

花の手入れ、水やり、ボーリングなどはしなくなった。

 

「旅行に行きたい」「ドライブに行こう」とは言う。

家事=洗濯物のかたづけ、食器のかたづけなどは出来なくなった。食器洗いのまねごとをするがほとんど洗えていない

☆衣服の着替え=自分で思いついて着替えることが出来なくなった。衣服を出して指図すれば自分で着ることが出来る。

☆独り言を言うことはない。テレビに話しかけることはある

☆1年目くらいに、人まちがいをしたが今はない。

☆見えないものが見えたり、居ないのに「誰か居る」と言うことはない

歩行=問題はない。

大小便=この間一回だけトイレが遠くおしっこを漏らした事があったがそれ以外に問題はない。

 

 

 

2004年 (年齢59歳〜、発病後5年5ヶ月〜)

2004年1月1日

 

 

2004年0月0日(発見後5年5ヶ月

.59歳3ヶ月まで)

 

 

 

 

 

2004年8月1日

 

(発見後6年0月.59歳10ヶ月まで)

 

8月母さんの病気発見後6年間経過し7年目にはいった

 年齢は59歳9ヶ月である。

その日その日を見ていると あまり変わらないように見えていたが、年々ごとに病気は進行している。

生活に必要なことは何も出来なくなってきている

 思い付いたように リンゴの皮をむいたりすること以外は何も出来ない。 今のところ出来ることは、

  歩けること、

  ボールの受け投げが出来ること、

  眼に見える物についての会話が成り立つこと、

  人を感性的に記憶していること、

   かわいい物きれいな物おもしろい物に笑顔で応じること

  不整序なもの(=ごみ、空き缶、割れたガラス)を識別

  できること、

  トイレに行けること

  かろうじて文字が読めること、

などである。